スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
line

3月後半の死刑廃止関連ニュース


<2014/03/13 朝日新聞 朝刊>
(灰色の死刑判決 袴田事件の48年:1)拒まれた面会 刑確定33年 /静岡
 今日は会えるかな。ひょっこり出てこんかな。
 そう思いながら、袴田ひで子(81)は10日、東京拘置所の門をくぐった。部屋が少しでも明るくなるように。そう思い、月に1度の面会はいつも、拘置所で1千円程度の「明るい色の花」を部屋に差し入れるよう頼んでいる。
 拘置所の自動ドアをくぐると、正面は長いすが5列で並んでいる。右に面会の受付。左には売店があり、ガラスケースに差し入れ用のマンガや週刊誌、果物の缶詰やチョコパイなどが並ぶ。
 面会番号は88番。面会できる場合は電光掲示板に番号が表示される。長いすで数十分待ったが、番号が光ることはなかった。職員に「こちらに用はない。断って欲しい、とのことです」と告げられた。この日も死刑囚である弟・袴田巌(78)との面会はかなわなかった。
     *
 弟と最後に会ったのは、3年半前、2010年8月になる。出てくるとは思っていなかったひで子は、弟の姿を見て思わず、「えーっ」と声をあげた。
 当時、発足したばかりだった袴田死刑囚救援議員連盟の会長として、牧野聖修・前衆院議員も立ち会った。「ずっと日陰にいるから、青白くなって。生命力がないんだ。なぜ自分がそこにいるかわかんない感じだった」と印象を語る。
 「助けようと思って、議員連盟ができたの。この人は会長さんよ」。ひで子が懸命に話しかけても、会話はかみ合わない。「夢を見てさ。竜宮城にいってきた」。09年に亡くなった二番目の兄、実のお古の白いシャツを着た袴田は、そんなことを話し、約20分の面会時間を終えると、すっと去っていった。拘置所からは「認知症が進んでいる」と説明があった。
     *
 住居侵入、強盗殺人、放火の三つの罪で死刑が確定してから33年。袴田は面会を著しく制限され、いつ執行されるかおびえる暮らしを続けてきた。一審から一貫して無実を主張し、裁判をやり直す再審のための趣意書を自らの手でつづっていた袴田は、死刑が確定した80年代以降、精神を病み始め、一時は自分の排泄(はいせつ)物を口にするほどだったとされる。ひで子や弁護団が面会を求めても「本人が拒絶している」と告げられることが多くなった。
 一家4人が殺害され、放火されるという悲惨な事件からほぼ半世紀。無実を主張し続けてきた袴田について、第2次再審請求に対する判断が、静岡地裁から近く出される見込みだ。
 (敬称略)
 (この連載は国米あなんだ、福地慶太郎、杉本崇、仲村和代が担当します)
 ◆キーワード
 <袴田事件> 1966年6月30日、旧清水市(現静岡市清水区)でみそ製造会社専務宅が全焼し、一家4人の遺体が見つかった事件。従業員で元プロボクサーの袴田巌死刑囚が強盗殺人などの疑いで県警に逮捕された。袴田死刑囚は一審から一貫して無実を主張したが80年、最高裁で死刑が確定。81年に再審が請求されたが最高裁は2008年3月に棄却した。現在第2次再審請求中。

<2014/03/14 朝日新聞 朝刊>
(灰色の死刑判決 袴田事件の48年:2)4人殺害放火 「有力容疑者」報道/静岡県
 ウゥー、ウゥー。
 1966年6月30日午前2時ごろ。清水市横砂(現・静岡市清水区)のみそ製造会社「こがね味噌(みそ)」の従業員だった男性(73)は、サイレン音で目が覚めた。
 住んでいた寮の窓から工場の屋根ごしに、専務の橋本藤雄(当時41)の家を見ると、黒い煙が上がっていた。外に飛び出し、消火活動に加わった。「家族は避難しているはずだ」。鎮火したころ、敷地内の土蔵に入ってみたが、誰もいなかった。
 焼け跡からは、橋本と妻のちえ子(当時39)、次女扶示子(ふじこ)(当時17)、長男雅一郎(当時14)の遺体が見つかった。
 男性はまったく眠らないまま警察の事情聴取を受け、寮に戻った。「記者も警察もたくさんいる。何かおかしい」。放火殺人事件だと知ったのは、昼のテレビニュースだった。「親子4人殺して放火」。その日の夕刊には、大きな見出しが載った。
 妻と長男の遺体は、表通りに面した寝室で、かばい合うように抱き合った状態で見つかった。次女は南側の部屋でうつぶせに。少し離れた裏口の入り口付近に、橋本の遺体があった。いずれも、無数の刺し傷が残されていた。「受傷後十数分前後経過したあと身体が火につつまれ、瞬時にして死亡したものと推定」。東京高裁判決では、そう認定された。
 「物取り、怨恨(えんこん)両面で捜査」。当時の新聞は、捜査幹部の見立てとして強盗殺人と放火の疑いが高いとする一方、「無理心中の可能性もある」と伝える記事もあった。
 「顔見知りの犯行か」「えんこん説強まる」「凶器か? 小刀発見」。連日、事件の続報が紙面に載った。
 「有力な容疑者」
 袴田巌が容疑者として報じられるのは、事件から4日後。この頃、血の付いたパジャマが押収されたとされる。名前は伏せられていたが、「H」と頭文字を記したり、「ボクシングの選手だった」と特定できるような情報を報じたりする新聞もあった。
 朝日新聞を含め、当時、容疑者は呼び捨てで報じられるなど、事件報道では人権への配慮は重視されていなかった。報道各社の競争の中で、逮捕前から「袴田犯人説」は浸透していった。 (敬称略)

<2014/03/15 朝日新聞 朝刊>
(灰色の死刑判決 袴田事件の48年:3)1カ月半後の逮捕 連日12時間取り調べ/静岡県
 「袴田さーん、袴田さーん」。後輩記者と共に「こがね味噌(みそ)」の従業員寮を訪れた富永久雄(73)=県代表監査委員=は、2階に向かって声をかけた。事件から1カ月ほどたった頃だったろうか。当時、朝日新聞の記者として、静岡支局(現・静岡総局)に勤務していた。
 既に有力な容疑者として報じられていた袴田巌は、部屋から出てきて、ひざを抱え、踊り場に座った。スポーツ刈り、ランニングシャツにすててこ姿。「4人殺した犯人かもしれない」と思うと、怖かったという。問いかけに返ってくるのは短い相づちのような言葉だけ。メモすらほとんど取らなかった。記事になった記憶もない。
 事件から1カ月半後、袴田は強盗殺人、放火などの容疑で逮捕された。
 その後の裁判の経過を見て、「不自然だな」という思いが頭をよぎったこともある。だが、逮捕・起訴された刑事事件の99%は有罪。当時、再審で無罪が認められた例はほとんどなく、冤罪(えんざい)の可能性はほとんど考えなかったという。「結果的には、報道が加担した面はあったと思う」
 逮捕から数日後、袴田の長兄茂治、姉ひで子ら兄妹3人は清水署へ向かった。家族は許されず、弁護士だけが面会できた。
 「巌さんがこんなにむくんでたっ」。戻るなり、弁護士は顔の近くに手をやり、叫んだ。長時間の取り調べで、疲労がたまっていたようだ。横にいた警察官はぎょっとした様子で「医者に見せたから」と早口でまくし立てた。静岡地裁判決は「1日平均12時間の取り調べであった」と指摘した。
 当時、傷害容疑などで逮捕され清水署の留置場に入っていたという静岡市清水区の男性(71)は、当時を鮮明に覚えているという。「袴田さんは夜中まで取り調べを受けてた。毎日だよ」。袴田は4畳半ほどの独居房にいたため、直接言葉を交わす機会はなかった。
 捜査記録には次の一文が書かれていたという。
 「本件は被告人の自供を得なければ真相把握が困難な事件であった」
 袴田は逮捕から22日後、起訴された。(敬称略)
 ■袴田死刑囚に対する警察官の取り調べ時間
 <1966年>
 8月19日 10時間30分       20日  7時間23分
  21日  6時間 5分        22日 12時間11分
  23日 12時間50分        24日 12時間 7分
  25日 12時間25分        26日 12時間26分
  27日 13時間17分        28日 12時間32分
  29日  7時間19分        30日 12時間47分
  31日  9時間32分      9月 1日 13時間18分
   2日  9時間15分         3日  9時間50分
   4日 16時間20分         5日 12時間50分
   6日 14時間40分
 ※静岡地裁判決から。8月20日は検察庁に送検した日。翌21日に勾留が認められる。9月9日に強盗殺人、放火罪で起訴

<2014/03/16 朝日新聞 朝刊>
(灰色の死刑判決 袴田事件の48年:4)裁判中に新証拠 筋書き変わっても極刑/静岡県
 「全然やっておりません」。1966年11月15日、静岡地裁で開かれた初公判。強盗殺人罪などの認否を問われた袴田巌は、はっきりと答えた。
 捜査段階で自白したと報じられた袴田は、裁判では一貫して否認。捜査段階で自白が強制されていなかったかどうかを巡り、検察と弁護側が激しく対立した。
 裁判のさなか、検察の筋書きを覆す新たな証拠が見つかる。事件から1年以上経った67年8月31日。こがね味噌(みそ)の従業員だった男性(82)は、工場のみそタンクの中から、みそに埋もれた麻袋を見つけた。中をあけると、血に染まった衣類が見えた。「事件のものだ」。すぐに事務所に行き、警察に通報させた。
 工場には、私服姿の警察官と検事がやって来た。警察官らが衣類を地面に広げた。白半袖シャツ、ズボン、ステテコ、スポーツシャツ、ブリーフの5点。「血は真っ黒。みそに染まったところは生成(きな)り色で全然違うから、すぐに分かった」と男性は話す。
 袴田逮捕のきっかけは、部屋から血のついたパジャマが見つかったことだ。ところが検察は、67年9月13日の第17回公判で、犯行時の着衣をパジャマからこの「5点の衣類」へと変更した。
 袴田は家族に手紙を書いた。「血染の着衣が絶対に僕の物ではないと言う証拠はネームがない事です。僕の着衣はクリーニング屋に出すのでハカマタと入っています」「これは真犯人が動き出した証拠です」
 68年9月11日、静岡地裁判決。裁判長は求刑通り死刑を言い渡した。「5点の衣類」は犯行時に袴田が着ていたものと認定した。
 一方、「自白した」とされる供述調書45通中44通は証拠採用されなかった。判決文には、捜査への厳しい批判も盛り込まれていた。「捜査官はきわめて長時間にわたり取り調べ、自白を得ることに汲々(きゅうきゅう)として、物的証拠に関する捜査を怠った」「事件から1年余り過ぎて『犯行時着用していた衣類』が捜査活動とは全く無関係に発見される事態を招いた」
 袴田は判決直後、病床の母、ともに短い手紙を書いた。「御母サン 私ノコトデ無用ナ心配ナドシナイヨウ 早ク全快シテ下サイ 巌より」。その年の11月、ともは68歳で亡くなった。 (敬称略)

<2014/03/17 朝日新聞 朝刊>
(灰色の死刑判決 袴田事件の48年:5)控訴審で装着実験 無罪確信 /静岡県
 袴田巌は東京高裁に控訴した。控訴審に備え、一審判決から約1カ月後に東京拘置所へ身柄が移された。
 1967年に茨城県で起きた強盗殺人事件「布川事件」の犯人とされ、再審で無罪となった杉山卓男(67)=川崎市在住=は、同じ頃、東京拘置所にいた。
 東京拘置所の運動場は、コンクリートで囲まれた半円形上のスペースを金網で扇状に仕切ってあった。隣の袴田が、日課のシャドーボクシングを続けているのが見えた。
 杉山も当時、冤罪(えんざい)を訴えて裁判で争っていた。そんな事情を知っていたのか、袴田は時折、自分の裁判の進み具合を杉山に話しかけてきた。私語は禁じられているため、青空を見上げ、独り言のようにつぶやいていた。
 「明日、裁判でズボンがはけないのがわかるから、無罪が確定する」
 69年5月29日から始まった控訴審の争点の一つが、一審判決の根拠となった血のついたズボン。静岡地裁での裁判の途中、こがね味噌(みそ)のみそタンクから見つかったものだ。弁護側は「ズボンは胴まわりと腰まわりが小さすぎて、はけない」と主張した。
 袴田のものかを検証するため、はけるかどうかを試す実験が裁判所で71〜75年に3回開かれた。袴田は後に裁判所に出す意見書で実験の様子を振り返っている。「ズボンは小さ過ぎ股の辺りでつかえ、なお上げようとしたせいでビリッと裂けた」
 実験の翌日、拘置所に戻った袴田は運動場で、はしゃいだように語った。「ズボンがはけなかったんだ。だから無罪になるんだ」
 76年5月18日の東京高裁の判決は控訴棄却。「1年間みそにつかっていたためズボンが縮み、袴田は逆に太った」と検察側の主張をほぼ認め、「事件当時より体重は減った」などとする袴田の訴えを退けた。80年11月19日、最高裁が上告を棄却し、死刑判決が確定した。
 袴田は82年5月13日、姉ひで子に手紙を書いた。
 「私は死刑囚という特殊な境遇にデッチ上げられ、初めて死刑の残虐の何たるかを熟知した」「死刑そのものが怖いのではなく、怖いと恐怖する心がたまらなく恐ろしいのだ」(敬称略)

<2014/03/18 朝日新聞 朝刊>
(灰色の死刑判決 袴田事件の48年:6)第1次再審請求 不自然な自白/静岡県
 1980年11月、最高裁は袴田巌の上告を棄却。袴田は確定死刑囚になった。
 81年4月、袴田は静岡地裁に再審を請求した。自ら筆を取った14枚の意見書に、過去の取り調べや判決への抗議の言葉が並んだ。
 「代用監獄で即座に迫る死を回避するために仕方なしに取調官らの頭脳が生み出した調書内容を容認したかのように振る舞った。だが、私が犯人ですとの文章がまずうそである」
 一度確定した判決を覆す壁は高い。新しい材料はないのか。弁護団は建築や被服、心理学など様々な専門家に協力を求めた。
 その1人が、元花園大学教授の浜田寿美男(67)。元々は子どもの発達心理が専門だ。兵庫県西宮市の障害者施設で園児が死亡し、元保母が殺人罪に問われ、無罪が確定した74年の「甲山事件」をきっかけに自白の研究に取り組んでいた。
 浜田は、袴田が自白したとされる45通の供述調書の分析を始めた。400字詰め原稿用紙約600枚分。沼津市の弁護士事務所で1週間かけて時系列に並べ直し、供述の変遷を調べた。
 袴田の供述は出てきた証拠に合わせて、筋書きが3回変わっていた。犯行動機、凶器の入手方法、4人の殺害順序……。様々な点が一貫しなかった。
 犯行時に雨がっぱを着ていた理由も変転し、「パジャマに油が付くと困る」「パジャマの上衣の裾がビラビラする」から「パジャマのままだと白っぽくて人目に付きやすい」に。しかし、確定判決では犯行時の着衣はパジャマではなく、灰色のスポーツシャツとされた。
 92年12月にまとめた鑑定書に浜田はこう記した。「袴田氏の自白はかえって無実の者の自白だと証明する。この結論は避けられない」
 しかし、94年8月9日、地裁は再審請求を棄却。自白調書の鑑定は「死刑判決は最初に自白調書以外の証拠から(袴田が)犯人であるとしている」と、ほとんど考慮されなかった。東京高裁や最高裁でも、結論は変わらなかった。
 「きわめて不当」。最高裁が再審を認めない決定の通知が届いた2008年3月25日、弁護団は第2次再審請求を申し立てることを決めた。(敬称略)

<2014/03/19 朝日新聞 朝刊>
(灰色の死刑判決 袴田事件の48年:7)長期間の拘置 生気なく精神状態悪化/静岡県
 「昨日、隣の部屋の人が処刑された。お元気でと言ってた。みんながっかりしている」。1980年の死刑確定からしばらくして面会に訪れた姉ひで子に、袴田巌はまくし立てた。それ以降、処刑に関する話題は一切しなくなった。
 奇異な言動も始まった。面会で「電気を出すやつがいる」「食べ物に毒が入っている」と訴える。後に袴田を精神鑑定した多摩あおば病院の中島直副院長は、拘置所に長い間とどめ置かれた時に起きる「拘禁症状」と結論づけた。94年、静岡地裁が再審請求を棄却したころから精神状態はさらに悪化していった。
 浜松市に住む男性(56)は98年ごろ、東京拘置所の浴室で袴田とすれ違った。96年の強盗致傷事件で実刑判決となり、東京高裁に控訴していた。
 袴田は、五厘刈りの坊主頭。拘置所生活は20年を超え、目には生気がなく、日光を浴びていないせいか、顔は蝋(ろう)人形のように真っ白だった。入所者は3カ月ごとに部屋の配置が換わるが、死刑囚の袴田は「新北舎」3階の「1号」と書かれた単独房を使い続けていた。同じ階にいた3〜4年間、運動場に姿を見せることはなかったという。
 2000年以降は、「姉はいない。機械で作った偽物だ」と、ひで子の面会すら拒否するようになった。
 弁護団は04年、ひで子を袴田の成年後見人にするよう裁判所に申請した。08年6月、東京家裁が出した結論は「却下」。弁護団によると、「判断能力が著しく不十分で、手続きの一部を代理できる『保佐』を受ける状態にある」と認めつつ、「今回は『後見』の申し立てなので、保佐について裁判所が審議するのは適切でない」という形式的な理由だった。
 東京高裁が差し戻し、家裁がひで子を保佐人に認めたのは09年3月。弁護団はひで子を申立人として08年4月に第2次再審請求を申し立てていたが、「申立人になるには、成年後見人か保佐人であるか、本人が心神耗弱で判断能力がないと認められること」という条件をめぐって、審理は1年間、滞った。
 「08年6月時点で保佐人に選ぶこともできたのに手続き論に終始し、1年という時間を奪われた」。弁護団の岡島順治は憤る。「裁判所は先延ばしにしたかっただけではないか」 (敬称略)
 【写真説明】
 袴田死刑囚の成年後見申し立てに必要な診断書の作成を東京拘置所が拒否したとして記者会見を開く袴田ひで子さん(右)=2004年8月、県庁


<2014/03/20 朝日新聞 朝刊>
(灰色の死刑判決 袴田事件の48年:8)第2次再審請求 着衣の血液、DNA鑑定/静岡県
 「変な裁判だなあ」
 弁護士の角替清美(40)は2006年、静岡市で開かれた袴田巌の支援者の勉強会に参加した時、そう感じた。当時は、司法試験の受験結果を待っていた。
 逮捕から1年あまり後に犯行時の衣類が見つかり、その一つのズボンは袴田とサイズが合わない——。「なんでこんな証拠で有罪にするのか。裁判って、そんなことがまかり通る世界なのか」。疑問が湧き、弁護士になったら弁護団に入ることを約束した。
 ただ、証拠に疑いがある状況で裁判所が死刑判決を下すとは考えられない。決定的な証拠があるのではと疑ってもいた。この思いは2年後、弁護団に参加して変わる。記録を読むほど、判決への疑問が強まった。
 そのころ、第2次再審請求が始まった。弁護団長の西嶋勝彦は「今の証拠だけで再審の壁を乗り越えるのは難しい」と感じていた。
 犯行時の着衣が袴田のものでないと証明できれば、再審が決まる可能性が高い。そのためにはDNA型鑑定が欠かせないと、西嶋はみていた。DNA型鑑定は日本では1989年に実用化。裁判でも証拠として使われる機会が増えていた。栃木県で女児が殺害された足利事件で、09年にDNA型の再鑑定で再審が決まったことも、注目を集めていた。
 第1次再審請求中の00年の時点では、血液以外のDNAを検出する可能性があり「判定できない」などとされていた。「今なら新しい方法があるかも」。角替らは、足利事件でDNA型鑑定をした本田克也・筑波大教授(法医学)に血痕がついた5点の衣類の写真を見せに、筑波大を訪れた。
 「こんなに血がついてるならできるんじゃない」。そう話した本田の鑑定で、12年4月、犯行時の衣服についていた血と袴田本人のDNA型が一致しないと判明。弁護団は「犯行着衣とされる衣服は袴田のものではなく、捜査機関による捏造(ねつぞう)」と主張した。
 検察側は意見書で、本田の鑑定に批判を繰り返した。「血液由来のみを抽出する方法は本田教授独自の方法であり、科学的・一般的な方法ではない」
 本田は反論する。「常に改善を加えようという姿勢を独自の方法として排除するなら科学は進展しない」(敬称略)
 【写真説明】
 みそタンクから見つかった白半袖シャツ。確定判決で袴田死刑囚のものと認定された右肩の血についてDNA型鑑定が実施された=袴田事件弁護団提供

<2014/03/21 朝日新聞 朝刊>
(灰色の死刑判決 袴田事件の48年:9)弁護団の戦略 証拠開示させ筋書き崩す/静岡県
 第2次再審請求で袴田巌の弁護団が立てたもう一つの戦略が、捜査で集めた証拠を検察側から出させ、死刑判決の筋書きを崩すことだ。「捜査機関が持つ全ての証拠を出してほしい」。弁護団長の西嶋勝彦は、静岡地裁や検察との打ち合わせのたび、繰り返した。
 裁判員裁判が2009年に始まるのを前に、弁護側に証拠開示を求める権利が05年の刑事訴訟法改正で認められた。袴田の再審請求に関わる新屋達之・大宮法科大学院大教授は「再審事件に直接適用されないが、裁判所が証拠開示を勧告しやすくなった」と話す。
 検察側は、争点に直接関係する証拠以外は「開示する理由がない」などと難色を示したが、地裁は13年7月に開示を勧告。拒否すれば強制力のある命令が出る可能性もあった。
 命令が出れば、争点に直接かかわらない証拠まで開示した前例となり、ほかの再審事件へ影響が広がるかもしれない。そこで検察は勧告を拒否する一方、任意で提出する形を選んだ。
 開示された証拠は数百点。「実を捨て、名を取った」。検察幹部は明かす。
 しかし、開示された証拠は全てではなかった。一方、これ以上請求を続けると結論が遅くなる。高齢の袴田を思い、西嶋は請求を途中で取り下げた。
 開示された証拠から、これまでの筋書きとは違う証言も見つかった。「サイレンで目を覚まし外へ飛び出した。袴田も一緒くらいに起きて後からついてきた」という元従業員の証言だ。確定判決では、「鎮火近くまで袴田を見た者はいない」とされていた。
 別の証拠には、袴田が「消防車のサイレンで目を覚ました。ほかの従業員ががたがた階段の音をさせて出ていき、私も後から出ていった」と供述したことも書かれていた。検察側は「犯行時のアリバイを裏付ける証拠にはならない」と反論するが、弁護団は「袴田の供述と状況が完全に一致する」と指摘する。
 証言をした元従業員の男性(73)は寝ずに消火活動をし、混乱した状態で警察の聴取に応じた。「一緒に寮にいた3人で消火に向かった」と証言した覚えがある。後日、改めて警察に問われ、袴田の姿をはっきり見たのは「鎮火後、専務宅の敷地内の物干しざおのあたり」と訂正したという。
 一緒にいたもう1人の男性にも、当時の状況を聞いた。しばらく考えた後、「もう全然覚えていないなあ」と漏らした。(敬称略)

<2014/03/22 朝日新聞 朝刊>
(灰色の死刑判決 袴田事件の48年:10)担当裁判官の告白 /静岡県
 「判決の日から今日まで心痛は続いている。2対1の多数決で私の意見は敗れ信念に反する死刑判決を出した」。2007年1月、袴田巌の支援団体「袴田巌さんの再審を求める会」に、1通の手紙が届いた。差出人は熊本典道(76)。1968年、静岡地裁で死刑判決を書いた裁判官だった。死刑判決について、担当裁判官が経緯を明かすのは異例だ。
 熊本は当時の経緯を、再審を求める上申書につづった。約2年間にわたる静岡地裁の公判を通じ、「袴田は無罪」と感じていた。起案用紙に360枚の無罪判決文を書いたが、3人の裁判官の合議の結果は2対1で有罪。「取り決めだから書いてくれ」。石見勝四裁判長から求められ、「人殺しの仲間に入らんといかんのかな」と死刑判決を書いた。「この判決文を書いた裁判官は無罪の心証を持っていたと気づいて欲しい」と願いながら。判決の言い渡しは、当初の予定より2カ月延びた。
 死刑判決を聞いて「がくっとなった」袴田の顔を忘れられず、言い渡しから7カ月後に裁判官を辞めた。弁護士登録をしたが、離婚を重ね、酒で体を壊し、幻覚や幻聴に悩まされた。自殺を試みたこともある。
 「袴田君が解放されない限り、私は救われない」。悩んだ末、支援団体に手紙を書いた。
 07年6月、袴田の支援者集会で、熊本は語った。「私がやったことは決して美談ではない。美談にしてはいけません」
 今年2月25日。車いすに乗った熊本が、自宅のある福岡市から静岡地裁を訪れた。手には、袴田の再審開始を求める請願書が握られていた。
 7年前に前立腺がんで余命5年と宣告された。5年ほど前に脳梗塞(こうそく)になり、手足どころか、口も思うように動かない。記者の前では緊張もあり、ほとんど言葉を発することができなかった。口を動かし空気を絞り出すのがやっとだった。
 一審の静岡地裁から再審請求審までに関わった裁判官の中には、他界した人もいる。何人かに取材を申し込んだ。「決定に書いたことが全て」「守秘義務に触れないように話すのはいまは難しい」。熊本以外に、取材に応じる裁判官は見つからなかった。(敬称略)
 【写真説明】
 (上)熊本典道さんが名乗り出た後、ボクシングジムを通じて袴田巌死刑囚に渡すよう依頼した文面
 (下)上申書を静岡地裁に提出した後の会見で、記者から今の心境を問われ、涙を流した熊本典道さん(左)=静岡市葵区

<2014/03/23 朝日新聞 朝刊>
(灰色の死刑判決 袴田事件の48年:11)被害者を思う人々 命奪ったのは誰/静岡県
 袴田巌が犯人でないとしたら、4人の命を奪ったのは一体誰なんだろう。
 静岡市清水区の元教師の男性(69)はこの48年、そんな思いを抱いてきた。
 事件当時は静岡大教育学部の4年生。被害者の橋本一家の近所に住み、中学2年だった長男雅一郎(当時14)の家庭教師をしていた。
 事件前夜の1966年6月29日にも、現場となった家を訪れた。午後7時、いつものように「こんばんは」と雅一郎の母ちえ子に声をかけ、勉強部屋に入った。勉強机が散らかっていて「掃除しないと」と注意したのを覚えている。
 隣の部屋からは、次女で高校2年だった扶示子(ふじこ)(当時17)が、別の家庭教師の男性にビートルズの話をする声が漏れていた。29日はビートルズが初来日を果たした日。ファンだった扶示子は3日後に日本武道館で開かれる公演に行く予定で、楽しみでしかたない様子だったという。
 数学と英語を2時間ほど一緒に勉強し、男性は橋本家を後にした。翌日の昼ごろ、事件のことを知った。
 「一日も早く解決を」。そう願っていたから、袴田が逮捕された時は、犯人が捕まったと安心した。だが逮捕から1年あまり後に血痕のついた衣類が見つかり、「なんでもっと早く徹底的に捜査しなかったのか」と違和感を覚えた。
 その後、事件は冤罪(えんざい)の可能性があるとして注目を集めている。男性も、事件を取り上げた舞台を見たり、本を読んだりして、自分なりに勉強をしてきた。袴田が犯人なら許せない、だが冤罪であればそれも許されることではない。気持ちは揺れる。
 時間が経つにつれ、被害者については、報道などでほとんど触れられなくなった。「4人が命を奪われ、家庭も仕事も壊れた。被害者の支援は誰かしているんだろうか」。力になりたいとは思いつつ、連絡をとれずにいる。
 雅一郎に、「大きくなったら何になりたいの」と聞いたことがある。しばらく考えた後、返ってきた答えは「長生きしたいなあ」。将来の夢は職業じゃないんだな、とその時は思った。「たわいない会話だったんだけど、いま振り返ってみると……」。男性は押し黙った。(敬称略)

<2014/03/24 朝日新聞 朝刊>
(灰色の死刑判決 袴田事件の48年:12)訴え広げた支援者 /静岡県
 当時の関係者の中には、袴田巌が犯人と固く信じる人も少なくない。みそタンクから犯行時の着衣とされる「5点の衣類」を見つけた元従業員(82)は「ほかにやる人はいない」。吐き捨てるように「今さら再審なんて、ばかばかしい」と話す元従業員もいる。
 静岡地裁で裁判が始まったころのこと。「巌はやっていない」。8歳上の兄茂治(故人)が親類の集まった席で訴えると、返ってきたのは「何を言ってるんだ」という冷たい反応。巌の姉ひで子(81)は「もう何も言うまい。巌は私が支える」と心を決めたという。
 支援が広がり始めたのは死刑が確定した頃からだ。袴田事件が冤罪(えんざい)ではないかという記事を書いたルポライター高杉晋吾が1980年、「無実のプロボクサー袴田巌を救う会」を設立。日本ボクシング協会会長だった金平正紀や、詩人の寺山修司がメンバーだった。92年に代表を継いだ声楽家の門間正輝(62)と副代表で教会のオルガン奏者でもある妻の幸枝(72)は、欧州で演奏会を開くなどして、12万通以上の署名を集めた。
 日本弁護士連合会は82年「袴田事件委員会」を設置。今月18日には、袴田巌死刑囚救援議員連盟が再結成された。
 1961年5月、札幌。25歳のボクサーだった袴田が、フェザー級王者高山一夫と対戦した。何度殴られ、倒れても、立ち上がる姿が、所属していた不二拳闘クラブの元トレーナー有田昭光(85)の目に焼き付いている。「ものすごいパンチをくってるけどあきらめない。タフだったよ」
 ボクサーの中ではおとなしかった。「4人も殺すなんてあいつにはできっこない」と信じる。
 日本プロボクシング協会の袴田巌支援委員長、新田渉世(46)は2011年に就任する前からほぼ毎月、面会のため東京拘置所を訪れていた。最後に会えたのは10年。ボクシングの話は多少通じても、ほとんどかみ合わなかったという。
 11日、東京で開かれたボクシングイベント。袴田が30年ほど前に支援者に書いた手紙が読み上げられた。「リングの中はみな、お客さまが観(み)ておられます。その中で、拳ひとつだけで闘ってきたことが私の唯一の誇り」「リングの中においても、リングを下りてからも、反則行為は一度たりともしておりません」
 新田もリング上でマイクを握った。「何とか袴田さんに出て来てもらい、リングサイドで観戦してほしい。皆さんの支援が必要です」。
 再審は認められるのか。判断は27日午前、静岡地裁から出される。(敬称略)
 (国米あなんだ、福地慶太郎、杉本崇、仲村和代が担当しました)
 【写真説明】
 (右)袴田巌死刑囚78歳の誕生日前日の今月9日、支援者とともに釈放を求めて訴える門間幸枝さん=埼玉県所沢市(左)後楽園ホールの観客席に「袴田巌シート」(奥)がある。観客に袴田事件への関心をもってもらうと同時に、袴田死刑囚が無罪になって、この席で観戦してほしいとの願いがこめられている=東京都文京区


<2014/03/16 東京新聞朝刊>
袴田死刑囚の処遇改善を 救援議連再始動 超党派で「再審」後押し
 超党派の国会議員有志が、無実を訴える袴田巌死刑囚(78)の支援を再び本格化させる。一九六六年六月に静岡県で、みそ製造会社の専務一家四人が殺害された「袴田事件」。再審開始を訴えるとともに、健康状態が悪化した袴田死刑囚の処遇改善を求める。(篠ケ瀬祐司)
 春とは思えない冷たい風が吹く三月十日、袴田死刑囚の姉の秀子さん(81)は、東京・小菅の東京拘置所を訪れた。この日が誕生日の弟に面会するためだ。
 秀子さんは二〇一〇年八月以降、弟に会えていない。ほぼ毎月面会を申し込んでいるが、袴田死刑囚が拒んでいる。約四十八年間の拘禁状態で、精神のバランスを崩しているためとみられている。
 それでも秀子さんはこの日は「ひょこっと出てきてくれるかな」と期待していた。超党派の「袴田巌死刑囚救援議員連盟」に所属する鈴木貴子衆院議員(新党大地)が同行したからだ。最後に面会できた時も、救援議連代表だった民主党の牧野聖修衆院議員(当時)が同行していた。
 面会は実現しなかったが収穫はあった。拘置所側が、秀子さんらに対し、袴田死刑囚の健康状態を説明したのだ。秀子さんによれば、説明を受けたのは牧野氏が同行した時以来だ。
 拘置所の医師らによると、袴田死刑囚は今月三日から医療棟に移って糖尿病の治療を受けており、自分の名前や年齢、生年月日を答えることができたという。
 牧野氏は「三年半前は、袴田死刑囚とは会話が成り立たなかった」と振り返る。秀子さんは「その時と比べると、少しは良くなったのかな」とやや安心した表情を浮かべる。国会議員の同行を心強く感じたという。
 袴田死刑囚が容疑者として逮捕されたのは六六年八月。公判で無罪を主張したが八〇年に死刑が確定した。第二次再審請求では、静岡地裁が今月中にも再審開始の可否を決定する見込みだ。
 再審請求審で、事件をめぐる新証拠が次々と出てきた。犯行当時に袴田死刑囚が着ていたとされる衣類に付着した血は、DNA鑑定で、袴田死刑囚とも被害者とも一致しないとの結果が出た。取り調べ段階の「自白」と食い違う同僚の証言も明らかになった。鈴木氏は「司法は新証拠を検証する責任がある。救援議連のメンバーとともに、新証拠が出てきた事実を広く発信していきたい」と語る。
 救援議連は十八日に東京・永田町で総会を開く。一二年の衆院選と一三年の参院選でメンバーが六十五人から十五人に減って休眠状態だったが、再始動する。再審開始の機運を盛り上げ、袴田死刑囚の早期釈放に向けて活動する方針を確認する。
 一〇年の発足当時からの中心メンバーで、総会で役員に再任予定の漆原良夫衆院議員(公明)は「袴田死刑囚は、拘置所内では十分な治療が受けられないだろう」と指摘。外部の医療機関で治療させるよう、谷垣禎一法相に働き掛けたいと語る。
 漆原氏は「袴田死刑囚に限らず、受刑者らの健康状態の説明のあり方や処遇の改善についても、立法府として何ができるか検討したい」と話した。


<2014/03/18 西部読売新聞 朝刊>
飯塚事件再審 31日可否決定
 1992年に福岡県飯塚市で女児2人が殺害された飯塚事件の再審請求審で、福岡地裁は17日、再審開始の可否について、31日に決定すると弁護団などに通知した。
 事件では、県警が94年、目撃証言やDNA鑑定結果などから、久間三千年(くまみちとし)元死刑囚を逮捕。久間元死刑囚は一貫して無罪を主張したが、2006年に最高裁で死刑が確定し、08年に執行された。
 久間元死刑囚の妻は09年10月、福岡地裁に再審を請求。弁護団は12年10月、DNA鑑定結果を写したネガフィルムを解析し、女児の遺体周辺で採取された試料から、女児とも久間元死刑囚とも異なる第三者のDNA型が確認されたと発表した。
 これに対し、検察側は「鑑定の過程で発生するエキストラバンド(余分な帯)であり、犯人のDNA型を示したものではない」と反論している。


<2014/03/19 静岡新聞 朝刊>
超党派救援議連が再始動 執行停止求め決議−袴田死刑囚
 静岡市清水区で1966年、みそ製造会社の専務一家4人が殺害された「袴田事件」で、静岡地裁に第2次再審請求中の袴田巌死刑囚を救援する超党派の国会議員連盟が再始動し、18日に国会内で総会が開かれた。会長に塩谷立衆院議員(自民、静岡8区)が就き、法相による袴田死刑囚の死刑執行停止命令の発令など四つの実現項目を決議した。
 国会議員や袴田死刑囚の支援者ら約100人が参加した。塩谷会長は「国会議員としてやれることをやっていきたい。袴田死刑囚も高齢で、面会も思うように果たされていない。何とかしないといけない」とあいさつした。呼び掛け人の一人、大口善徳衆院議員(公明、比例東海)は「えん罪を許してはいけない。再審決定を勝ち取るように微力ながら支えていきたい」と語った。
 総会では袴田死刑囚との面会や医療面での処遇改善、再審決定した場合に検察に即時抗告を断念させる、などを盛り込んだ決議案を全会一致で了承した。
 袴田死刑囚の姉秀子さんは「拘置所にいる47年間の月日は長過ぎる。再審開始を心の底から願っている」と声を振り絞った。

<2014/03/19 朝日新聞 夕刊>
日弁連、米刑務所視察 「死刑制度議論の参考に」 【大阪】
 死刑廃止の動きが活発化している米カリフォルニア州の状況を把握しようと、日本弁護士連合会の調査団が18日(日本時間19日未明)、死刑囚らを収容する刑務所を訪れた。日本で是非が分かれる死刑制度の議論の参考にする。
 サンフランシスコ中心部から車で約1時間。サンクエンティン刑務所は全米最多の725人の死刑囚を抱える。その理由のひとつは、2007年度以降、同州では死刑執行ゼロが続いているからだ。
 重い鉄扉を開けると、密閉された緑色の部屋に椅子2脚が並んでいた。非人道的とされた絞首刑に代わり、1930年代に導入されたガス室だ。死刑廃止を目指す現地の市民団体によると、死刑確定後に冤罪(えんざい)が判明した例もあり、「別人を処刑する恐れがある」との声が高まった。12年11月には死刑廃止の是非が問われた住民投票が行われ、廃止賛成が47%に上った。
 カリフォルニアでの刑務所調査を終えた日弁連の死刑廃止検討委員会委員長の加毛(かも)修弁護士は「刑場を見るだけでも、印象は変わる。死刑の是非について国民的な議論を活発化させるため、日本でも情報公開を進めるべきだ」と話した。 (サンフランシスコ=岡本玄)

<2014/03/21 東京読売新聞 朝刊>
[袴田事件・再審可否を前に](上)判決後32年の葛藤(連載)=静岡
 ◆元裁判官 判決後32年の葛藤 
 静岡地裁は27日、袴田事件の第2次再審請求審の再審可否を判断する。地裁の決定を見守る関係者の思いや活動を追った。
     ◇
 2000年2月。東京・銀座のすき焼き店では、司法修習15期生の面々が、同期の最高裁判事就任を祝う会を開いていた。宴も終わる頃、熊本典道(のりみち)(76)は「俺に5分だけ時間をくれ」と立ち上がった。華やかな調度品と昔を懐かしむ笑い声に包まれた個室で、熊本は約20人の旧友を前に、祝いの場に似つかわしくない神妙な語り口で口を開いた。「袴田君は無実だと思う」——。7年後、この「評議の秘密」は記者会見の場で公にされた。
     ◎
 熊本は1966年に始まった1審・静岡地裁の左陪席裁判官として第2回公判から審理に加わった。約20日間にわたり1日平均約12時間の取り調べを受けた袴田の自白の任意性に疑問を持ち、無罪を訴えたが、先輩裁判官2人に退けられ、死刑が選択された。判決文を起案する主任裁判官は最もキャリアの浅い左陪席が担当するのが慣例。熊本も例外ではなかった。「信念に反する判決書き」は68年9月11日、裁判長によって言い渡された。熊本は最終合議以来、2学年上の袴田を「被告人」ではなく「袴田君」と呼ぶようになった。
 1審判決には「付言」という異例の項目がある。「被告人から自白を得ようと、極めて長時間に亘(わた)り被告人を取り調べ(中略)、捜査のあり方は(中略)厳しく批判され、反省されなければならない。本件のごとき事態が二度とくり返されないことを希念する余り敢(あ)えてここに付言する」。それは82ページに及ぶ判決文のわずか13行だった。
     ◎
 宴の場で熊本は、堰を切ったように30分間も苦悩を吐露し続けた。判決直後に裁判官を辞めたこと、今でも最終合議が頭から離れないこと——。だが、司会のマイクを握る木谷(きたに)明(76)(元東京高裁部総括判事)は話を止めなかった。任官後、東京地裁刑事第14部で席を並べた木谷も、後に似た経験をしていた。
 札幌高裁の判事補時代の69年。札幌市警の白鳥一雄警部が52年に射殺された「白鳥事件」で、懲役20年が確定した受刑者(当時)の再審請求異議審を担当した。弁護団は、確定判決で有罪の根拠とされた拳銃の弾丸を「警察の捏造(ねつぞう)だ」と主張していた。
 左陪席だった木谷は「弾丸の発見状況が不自然過ぎる」と裁判長に訴えたが、「問題にならない。再審開始なんかできるもんじゃない」と一蹴された。
 木谷が書き上げた「異議棄却」決定から6年後、最高裁は特別抗告審で、再審開始要件を緩和したとされる「白鳥決定」を示した。新旧証拠を総合的に検討し「疑わしきは被告人の利益に」という理念が再審手続きでも適用されるべきだとの判断だ。特別抗告は棄却されたが、白鳥決定は決定的な証拠なしでも再審の門が開かれる素地を作った。
 袴田事件でも、白鳥決定を踏まえた判断が下される。木谷は「裁判官は唯一、有罪か無罪を決められる存在だが、合議判決も自らの判決。それが裁判官の壕(ごう)の深さだ」と語る。
     ◎
 熊本は07年1月、福岡市のホテルで再審弁護団と初めて会った際、付言は「魂を置いてきた部分だ」と打ち明けた。その2か月後、記者会見の場で自らの口から「無罪の心証」を暴露した。現在は福岡市で暮らすが、脳梗塞の影響で車椅子生活を余儀なくされ、言葉を発するのも困難な状態だ。それでも07年に最高裁に出した再審を求める上申書を今年2月、かつて勤めた静岡地裁に改めて提出した。
 「今でも気持ちは変わらないか」。報道陣の問いかけに、熊本は一点を見つめ、静かにうなずいた。(敬称略) 
 写真=静岡地裁に再審開始を求める上申書を提出した後、記者会見する熊本典道・元裁判官(2月25日、県庁で)

<2014/03/22 東京読売新聞 朝刊>
[袴田事件・再審可否を前に](中)元死刑囚が語る「無実」(連載)=静岡
 宮城刑務所仙台拘置支所(仙台市)には絞首台がある。「今朝の体操は中止。舎房の扉を背にして座れ」。淡々とした場内アナウンスが死刑執行の合図だ。ある日、隊列を組んだ約10人の刑務官の足音は、赤堀政夫(84)の独房の前でやんだ。背後で錠を開ける音が聞こえた。「お迎えだ」。両腕を引っ張られた瞬間、別の刑務官が血相を変えて駆けつけ、叫んだ。「違う、隣だ!」。連れて行かれたのは隣の房の死刑囚だった。
      ◎
 赤堀は島田事件で35年間にわたり身柄を拘束された。「被害者を暴行し胸を石で殴打した後、首を絞めて殺した」との自白を主な根拠に死刑判決が下された。4度目の再審請求で、静岡地裁が1986年5月、「胸の傷から凶器が石であるかに疑問が残り、自白にも秘密の暴露があると言えない」として再審開始を決定した。
 第1次再審請求中だった当時50歳の袴田巌死刑囚(78)は収監先の東京拘置所で、当日夜7時のラジオでこのニュースを知った。「今、暗闇の中で明かりを見たような思いでほっとしています。今度司法の正義を受けるのは私の番だ!」。袴田は姉秀子(81)に手紙でこうつづった。拘置所でペン習字を学んでいた袴田にしては珍しい乱筆だった。
 一方、赤堀は87年8月、再審公判のため静岡刑務所に移送された。「絞首台」から解放された赤堀は支援者との最初の面会で、仙台拘置支所で刑が執行された死刑囚一人ひとりの名を挙げた。その場では、袴田の名前も挙がった。「巌君はどうしてるかい」。仙台にいた時、袴田事件のことは支援者から聞いていた。袴田は1審判決で自白調書45通のうち44通について「意思決定に強制的、威圧的な影響を与えており任意性がない」として排除されていた。赤堀は、同じ静岡で起きた事件であること以上に「巌君もうその自白をさせられたのでは」と、自らの境遇に袴田を重ね合わせたのだという。
      ◎
 静岡県の保健所に勤める傍ら、精神医療の面から赤堀の支援を続けた寺沢暢紘(のぶひろ)(68)は、赤堀の再審公判前の様子を「白髪がめっきり減って、感情表現も表情も豊かになった」と振り返る。
 寺沢は活動中に同じ浜松市に住む秀子と出会い、現在は袴田事件の支援に携わる。面会には必ず応じた赤堀に対し、袴田は2010年8月以降、面会を拒否。第1次再審請求審の棄却後は「裁判は終わった。今は儀式だ」などと不可解な言動が目立ち、認知症の疑いもある。このため、第2次再審請求の申立人は秀子になっている。
 寺沢は「収監されている人と、その家族に寄り添う支援の仕方は島田事件と一緒。でも今は、巌さんと秀子さんが(再審開始という)同じ目標を目指しているかはわからない」と懸念する。
      ◎
 「主文、被告人は無罪」。89年1月31日の再審公判判決で、赤堀は裁判長の言葉に違和感を覚えた。「無罪とは何かね」。法廷の刑務官に尋ねた。刑務官は「もう拘置所に帰らなくていい」と耳元でつぶやいた。
 赤堀は35年間の勾留、収監を経て釈放され、地裁前で待つ支援者のために笑顔を作り拳を突き上げた。だが、内心は違った。「何もやっていない」のが「無実」。「無罪」は「罪に問われない」と言われたようでわだかまりが残ったという。
 無罪判決から25年。死刑囚が再審無罪となった例は島田事件以降はない。赤堀は「命ある限り『無実』の人の支援を続けたい」と語り、ヘルパーや支援者の助けを借りて名古屋市で独り暮らしを続けながら、全国で冤罪(えんざい)問題の支援活動を行っている。
 「巌君の事件のね、本当のことを知りたい」(敬称略) 
(島田事件〉
 1954年3月、島田市で6歳の女児が連れ去られ、遺体で見つかった。別件の窃盗容疑で逮捕された赤堀政夫さんが殺害を自供したとして殺人などの容疑で再逮捕された。公判では無罪を主張したが、58年に静岡地裁で死刑判決が言い渡され、60年12月に最高裁で死刑が確定した。第4次再審請求で89年2月、無罪が確定した。死刑囚が再審無罪となった4事件の一つ。
 
 事件   発生日   概要(地名は当時)             再審開始決定   無罪判決
免田事件 1948年12月 熊本県人吉市で祈とう師一家4人が殺傷される  79年 9月     83年7月
財田川事件 50年 2月 香川県財田村で闇米ブローカーが殺害される  79年 6月     84年3月
松山事件  55年10月 宮城県松山町で農家が放火され4人が殺害される 79年12月     84年7月
島田事件  54年 3月 島田市で6歳の幼稚園女児の遺体が見つかる   86年 5月     89年1月

<2014/03/23 東京読売新聞 朝刊>
[袴田事件・再審可否を前に](下)DNA再鑑定 「足利」契機(連載)=静岡
 「鑑定不能」——。第1次再審請求・即時抗告審中の2000年7月、DNA鑑定結果を受け取った袴田事件弁護団の小川秀世・事務局長は「駄目か」と思わず天を仰いだ。確定判決で犯行着衣と認定された「5点の衣類」の血痕と、被害者のDNA型が一致するか調べる鑑定。再審開始の糸口となる決定的な証拠を求めていた弁護団は、突きつけられた結果に落胆の色を隠せなかった。
      ◎
 当時、DNA鑑定を焦点にした刑事弁護の先駆けだったのが足利事件だ。弁護士の伊豆田悦義(43)は1996年の登録後、その主任弁護人の事務所に就職し、上告審弁護団に参加。鑑定のいろはを学んだ後、02年4月に地元の浜松市に戻り、袴田事件弁護団に加わった。
 袴田事件での再鑑定を見据え、伊豆田は04年10月、足利事件の近況を聞こうと主任弁護人を訪ねると、事務所に再審請求中の宇都宮地裁からある一報が入った。犯人のものとされる体液が付いた被害者の下着を医大で冷凍保存することを同地裁が決めたのだ。
 警察庁科学警察研究所が89年に導入したばかりのDNA鑑定の証拠能力を初めて認めたのが、他ならぬ足利事件の最高裁判決。伊豆田は「裁判所が昔の鑑定精度に疑義を持ち始めたのか」という期待を肌で感じた。
 一方、袴田事件の第1次再審請求・特別抗告審は08年3月、決め手を欠いたまま、最高裁に棄却された。
      ◎
 09年4月、東京高裁15階の第1刑事部。足利事件再審請求審裁判長の矢村宏(66)は、00年の確定判決などが詰まったロッカー1個分もの膨大な記録を読み返し、「間違いない、真っ黒だ」と有罪を確信した。
 だが、09年1月から始まった再鑑定結果が4月末、机上に届いた瞬間、矢村は目を丸くした。「真っ白じゃないか」——。
 最高裁が認めた旧鑑定の信用性が失われ、鑑定を基に取り調べられた自白の証拠価値も同時に崩れた。矢村は「DNA鑑定という後ろ盾があったから迫真性のある自白を信じてしまった」と打ち明ける。旧鑑定が、自白の問題点の検討に狂いを生じさせたことを、再鑑定によって思い知らされた。
 ほどなくして開かれた合議の結論は決まっていた。全員一致で「再審開始」だった。
 「足利は裁判官人生で最大の教訓」と述懐する矢村。「DNA鑑定は科学的証拠だからこそ、表面的な判断は禁物。全証拠について、結果に至る経緯を繊細に検討すべきだと再認識した」と語る。
      ◎
 伊豆田は直感した。「今なら、再鑑定請求が認められるかもしれない」。
 だが、結果が出るかは別問題だ。鑑定不能と結論付けられた00年時点で、足利事件を再審無罪に導いた鑑定手法をすでに採用していた。03年から分析装置の実用化で鑑定精度は向上したが、経年劣化の影響を乗り越えられるかは未知数だった。
 伊豆田は、足利事件の再鑑定で弁護団推薦鑑定人を務めた筑波大の本田克也教授(法医学)に接触した。「(鑑定の)阻害物質は取り除ける。結果が出るかもしれない」。思いもよらない返事だった。
 ただ、2度目の鑑定不能は許されない。弁護団内には再鑑定に慎重な意見もあったが、「手持ちの証拠では再審の扉は開かない」として再鑑定を請求する方針でまとまった。
 本田は11年12月、5点の衣類と被害者のDNA型は「一致しない」と結論付けた。さらに、袴田巌死刑囚(78)のDNA型と一致するか調べる別の鑑定でも、12年4月、「一致しない」との結果が出た。
 いずれも「袴田死刑囚の犯行着衣ではない」との主張の根拠として、第2次再審請求審の最終意見書でトップに据えられた。伊豆田は「再鑑定がターニングポイント」と振り返る。
 再審可否の最大の焦点はDNA鑑定結果だ。静岡地裁は証拠能力を認めるか。注目の判断は27日に下される。(敬称略)(この連載は、小沢理貴が担当しました)
〈足利事件〉
 栃木県足利市で1990年5月、当時4歳の女児の遺体が見つかり、県警が91年12月、女児のシャツの付着物のDNA鑑定などを基に元保育園運転手の菅家利和さんを殺人容疑などで逮捕。2000年7月、最高裁で無期懲役が確定したが、再審請求審のDNA再鑑定で別人のDNAと判明し、09年6月、東京高裁(矢村宏裁判長)が再審開始を決定。宇都宮地裁での再審公判で、10年3月に無罪が確定した。
 
<2014/03/22 東京新聞朝刊>
二月二十一日 ある死刑囚の記録 獄中の洗礼、交流…「生きたい
 2013年2月21日、3人の死刑囚の刑が執行された。奈良女児誘拐殺人の小林薫、茨城・土浦連続殺傷の金川真大(まさひろ)という世間を騒がせた2人に比べ、加納(旧姓武藤)恵喜の死が大きく注目されることはなかった。20代から盗みや詐欺で刑務所暮らしを繰り返し、02年、人生で2人目となる名古屋のスナックママの命を奪った恵喜。一審無期懲役、二審死刑を経て07年、最高裁で上告が棄却され死刑が確定する。
 執行まで10年余の獄中、キリスト教の洗礼を受けたのをきっかけに恵喜は養子縁組し、母となった加納真智子(仮名)や牧師の市原信太郎一家ら大勢の人々と交流する。刑死におびえる一方「死刑でいい」と言い放ってきた恵喜だが、真智子の病死で「愛する者を亡くした心の辛(つら)さ」を知ったといい、市原一家の一人娘の成長に目を細める。「生きたい」と願い始めた62歳の冬、恵喜を乗せて踏み板が開いた。(過去の連載は東京新聞ホームページでも見られます)

<2014/03/22 東京新聞朝刊>
死刑制度 あなたなら
 昨年末から今年三月上旬まで計四十五回にわたって本紙で連載した「二月二十一日 ある死刑囚の記録」。人生で二人の罪無き命を奪った加納(旧姓武藤(ぶとう))恵喜(けいき)という死刑囚が獄中で記した九百通を超える手紙やはがきをひもときながら、ふだん、表に出ることのない死刑囚の暮らしぶりや、心の内を探った。国民の多くが支持しているとされる一方、実態が黒い箱の中に隠されたままの死刑制度。近年の制度の流れを振り返りながら、元刑務官、被害者遺族、裁判員経験者という異なる立場の人たちにその是非や課題を語ってもらった。
 厳罰化で変わる判断
 近年の死刑が求刑された裁判で、必ず参考とされるのが一九八三年、最高裁が示した「永山基準」だ。殺害方法の残虐性や被害者の人数など九項目を死刑適用の際に考慮する要素として挙げ、以降の量刑相場を形づくっていく。
 恵喜が長野県諏訪市で旅館の女将(おかみ)を殺害したのもこの年。判決は死刑でも無期懲役でもない懲役十五年だった。
 本来、永山基準が示したのは「他に選択の余地がないときにだけ、やむを得ず」死刑も許されるという考えだった。しかし、九五年の地下鉄サリン事件をはじめとした一連のオウム事件や、神戸連続児童殺傷事件(九七年)、光市母子殺害事件(九九年)などで厳罰化を求める世論は強まるばかり。光市事件の裁判では「特に酌量すべき事情がない限り」死刑を選択するほかないと永山基準とは異なる判断理由が示された。
 恵喜が名古屋のスナックママを殺(あや)めた事件は誘拐殺人などのように計画性が高いわけではなく、前科である長野での殺人も有期刑で既に服役を終えていた。永山基準以降の判例では、こうしたケースで死刑が宣告された例はなかった。一審は無期懲役だったが、検察は「国民世論は、生命の侵害に対して厳しい処断を求めている」ことを控訴理由のひとつに挙げた。
 裁判でその年に死刑が確定した人数以上の執行がなければ、死刑囚の数は年々膨らんでいく。死刑は法相の命令により執行されるが、法相が特別に指定しない限り、だれをいつ執行するかは事実上、法務省が決める。再審請求や恩赦を出願中の死刑囚は執行が敬遠される傾向がある。本来、再審は新証拠が見つかった場合などに請求するものだが、弁護人によっては執行延期の手段として行うケースもあるとされ、請求が多発するように。そのほか、法相が個人的信条でサインを拒むこともある。オウム事件で多数の死刑確定者が出たこともあり、最近では百三十人を超える状態が続いている。
 恵喜ら三人の死刑が執行されたのは二〇一二年末に自民党が政権に返り咲いて二カ月後だった。三人とも再審請求や恩赦の出願中ではなかった。
 「執行が滞れば、死刑囚は増える一方。事務方としては年間、二回でも三回でも執行したいという気持ちはある」。法務省の参事官OBが本音を打ち明ける。法曹関係者からは「明らかに延期の手段と判断された再審請求中の死刑囚も含め、今後、執行が増えていくのではないか」と予測する声も漏れる。
 元刑務官、作家 坂本敏夫さん 更生助け執行矛盾
 全国七カ所の拘置所で死刑囚に日々接し、執行の実務を担う刑務官たち。広島拘置所総務部長などを歴任し、複数の執行に立ち会った経験がある元刑務官の作家坂本敏夫さん(66)は言う。「償いの気持ちを持たせようとしながら、首に縄をかける。自己矛盾だ」
 −二月二十四日に大阪地裁堺支部の裁判員裁判で死刑の実態を証言した
 「大学で刑法を専門に学んだ裁判官、検事でさえ死刑制度に葛藤がある。裁判員もせめて、死刑囚や執行の実態を知った上で判決を考えてほしかった」
 −刑務官が死刑囚に接する気持ちは
 「逃がさず、殺さず、狂わさず、が処遇のモットー。巡回時間は守る。なるべく声を掛ける。普段と違うことをすると、死刑が近いと疑心暗鬼になる」
 −刑務官の心理的な負担は
 「執行に携わるのは拘置所の警備隊で、若くて元気で柔剣道に優れた者。ほかにボタンを押す刑務官が選ばれる。執行に携わった刑務官の特殊勤務手当は二万円だが、受け取れるのは最大五人まで。携わった全員がもらえるわけではない。家族にも言えず、大変だ」
 「この国で合法的に人を殺している職業は刑務官だけ。自衛隊だって人を殺していない。部下によく言ったのは『被害者の命のために、こいつを真人間にしてやろう。罪と向き合うようにさせよう』と。最期に『お世話になりました』と言って、逝ってくれるようにと思っていた」
 −死刑囚にとって償いとは
 「死刑囚は私たちが思っている以上に、自分の命がどうなるか、命を奪った人のことを考えている。生きていなければ償いはできない。刑務作業のない現在の処遇では無理だが、被害者基金をつくり、死刑囚が作業で得たお金が遺児に渡るような形を伴う償いの方法を考えるべきではないか」
 全国犯罪被害者の会 松村恒夫さん 自分の命で償いを
 犯罪被害者の支援や司法参加制度の拡充に取り組む「全国犯罪被害者の会」(あすの会)は、死刑制度の存続を訴える。一九九九年に東京都文京区で起きた殺人事件で二歳の孫娘を亡くした代表幹事の松村恒夫さん(72)は言う。「奪われた命は返ってこない。せめて自分の命で償うべきだ」
 −二〇一一年ごろから明確に死刑存置を主張している
 「民主党政権下で死刑が執行されないのではという懸念が大きくなった。法律では(確定後)六カ月以内に執行しなきゃいけないのに、生き続けるのはおかしい」
 −遺族にとって死刑制度が存在する意味は
 「家族を失った悔しさ、むなしさは一生背負っていく。死刑は一つの区切りにすぎないが、同じ空気を吸わないで済むという安堵(あんど)感はある。死刑になっても被害者は返らないから無駄と言われるが、それは違う。生きて償うなんて望んでいない」
 −一人を殺害した事件なら死刑にならないのが「相場」だ
 「加害者と被害者は命の重さが違う。故意に一人を殺したら、自分の命も差し出すんだという社会規範ができれば、殺人に対する縛りになる」
 −死刑判決後に更生する死刑囚もいる
 「被害者にとっては更生しようがしまいが関係ない。死刑にならずに社会に出て再犯したとき、更生の可能性があると判断した裁判長らは責任を取れるのか」
 −世界の四分の三の国が死刑を廃止している。なぜ日本で死刑制度が続くのか
 「海外から廃止しろと言われるのは内政干渉だ。日本には、人の命を奪う罪を犯したなら、最終的に自分の命で責任を果たす価値観がある。それは道徳観、応報感と言ってもいい」
 裁判員経験者 田口真義さん まず考えてみよう
 裁判員制度の導入から五月で丸五年。これまで裁判員裁判で出された死刑判決は二十一件に上り、うち四件がすでに確定している。死刑判決の評議に加わった人たちを含む裁判員経験者が今年二月「国民的な議論が必要だ」と、谷垣禎一法相に死刑執行停止を求める要請書を提出した。その中心となった田口真義さん(38)=写真(右)=や五十代の主婦=同(左)=が呼び掛ける。「一度、立ち止まって考えよう」
 −なぜ執行停止を求めるのか
 田口「死刑に賛成、反対という単純な二元論でなく、まず考えてみましょうと言いたい。裁判員裁判によって、死刑の判断を下すのは国家から市民に移ったのに、刑の全体像が見えないまま判断せよというのはとても怖いこと」
 −裁判員に死刑か否かを判断させるのは重荷か
 主婦「参加したことには意義があった。ただ、私たちの評議で人ひとりが死ぬことになる。検察側から死刑が求刑されたころから、夢にうなされるようになりました。法廷の被告人が中学生の息子になって、こちらをじっと見つめている夢。ハッとして真夜中に跳び起きた」
 田口「個人的にはむしろ裁判員が死刑の判断に関わるべきだと考える。遠ざけようとしたら、私たち市民の目が余計に向かなくなる。しかし、人の生死を判断するのに今は標識も分からず、目隠しして車を運転しているようなもの。国民的な議論がないままでは、担当した裁判員だけが悩みを抱えることになる。だれもが突然、その立場になりうるんです」

<2014/03/23 時事通信ニュース>
再審開始に手応え=一審担当の元裁判官—「弁護側証拠は十分」・袴田事件
 袴田巌死刑囚(78)の第1次再審請求審では、一審を担当した元裁判官の熊本典道氏(76)が、「評議で無罪を主張した」と表明し、再審開始を求める上申書を提出した。1次請求は退けられたが、2次請求審でも同様の書面を提出。決定を前に取材に応じた熊本氏は、「弁護団の提出した新たな証拠は、再審開始を決めるのに十分。再審が決まれば少し肩の荷が下りる」と手応えを感じている。
 一審では、無罪と思いながら他の裁判官を説得できず、主任として死刑判決を書くという苦い経験をし、責任を感じて翌年に退官した。第1次請求審の最高裁決定を前にした2007年、「このままでは死刑になる」との思いから、支援者集会などで「無罪を主張したが、2対1で死刑に決まった」と表明。その後も無罪を訴える活動を続けている。発言には評議の秘密を定めた裁判所法に反するとの批判も出た。
 2次請求審では、犯人のものとされる血痕が、袴田死刑囚のDNA型と一致しないという鑑定結果が出た。熊本氏は「新証拠で無罪だという気持ちがより強まった。検察側の言い分より証拠の事実の方が重い」と強調した。
 袴田死刑囚は長期の拘束による拘禁反応とみられる症状が進み、面会に意味不明のことを話す状態が続いている。熊本氏は体調を気遣い、「無罪を勝ち取るまで元気でいてくれるか」と案じる。
 自身も数年前から足腰が弱り、車椅子での生活が続くが、「無罪になった袴田さんに会えるまで頑張りたい」と語った

<2014/03/23 時事通信ニュース >
無実の訴え、届くか=DNA型鑑定の評価焦点—27日、袴田事件再審請求審決定
 1966年に静岡県で一家4人が殺害、放火された「袴田事件」の第2次再審請求審で、袴田巌死刑囚(78)に対する再審の可否の決定が27日、静岡地裁(村山浩昭裁判長)で出される。認知症の疑いのある袴田死刑囚に代わり、姉(81)が申し立てた2次請求審では、新たに実施したDNA型鑑定の評価が最大の争点となっており、地裁の判断が注目される。
 ◇割れた鑑定評価
 2次請求審で弁護側は、現場近くのみそ工場タンクから発見され、確定判決が犯行着衣と認定した5点の衣類のDNA型鑑定結果などを、再審を開始すべき明白な新証拠に当たると主張している。
 鑑定では、5点のうち半袖シャツに付着した犯人のものとされる血痕について、2人の鑑定人が同死刑囚のDNA型と完全に一致するものはなかったとした。ただ、弁護側推薦の鑑定人が「鑑定結果には自信がある」としたのに対し、検察側鑑定人は「検出したDNAは血痕に由来するか不明」と信用性を否定した。
 弁護側は鑑定結果から袴田死刑囚は犯人ではないと主張。検察側は「鑑定試料は経年劣化していて、鑑定結果は信用できない」と訴えている。
 ◇600点の証拠初開示
 2次請求審では、地裁の勧告を受けるなどした検察側が、袴田死刑囚の供述を録音したテープや関係者の供述調書など、約600点の新たな証拠を開示した。刑事裁判の公判前整理手続きで幅広い証拠開示が認められるようになった、近年の司法制度改革の流れを踏まえた動きとみられる。
 新たに開示された捜査報告書には、同じ社員寮にいた同僚が「(事件後の)火事をサイレンで知り表に出るとき、(袴田死刑囚が)後ろから来ていた」と話したとする記載があり、弁護側はアリバイの成立を訴えている。
 ◇確定判決の誤り判明も
 開示証拠に含まれていた袴田死刑囚の供述テープは、「自白」した15日後に録音され、警察の取り調べに犯行を認めた内容。弁護団はテープを鑑定した結果から、「『秘密の暴露』はなく、無実の人の虚偽の自白だ」と主張する。
 また、犯行着衣とされたズボンの製造会社役員の供述調書などが開示された結果、ズボンに付いた布片の記号「B」が示すのは、確定判決が認定したサイズではなく、色だったことも判明した。弁護団は「袴田死刑囚は履けないサイズで、本人のものではない」と指摘。検察側は確定判決の誤りは認めたが、死刑囚がズボンを履けたことは別の証拠から明らかだとしている。

<2014/03/27共同通信>
13年中国の死刑執行、数千人か アムネスティ報告
【ロンドン共同】国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は27日、2013年の世界の死刑に関する報告書を発表、中国での死刑執行数は数千件に上るとみられ、世界で最も多いと指摘した。
 信頼に足る情報が不足しているとして、中国の具体的な死刑執行数は記していない。同団体は、中国政府は死刑執行が近年減っていると主張しているものの「重要情報の開示がなければ検証もできない」と批判。死刑執行数などの情報を公開するよう強く求めた。
 報告書によると、死刑は昨年、22カ国・地域で行われた。少なくとも778人の死刑執行が確認され、12年と比べ約14%増えた。

<毎日新聞 2014年03月27日>
袴田事件:世界最長収監の死刑囚 ギネス記録に認定
 静岡市(旧静岡県清水市)で1966年、みそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして強盗殺人罪などで死刑が確定した元プロボクサー、袴田巌死刑囚(78)。袴田死刑囚が1審で死刑判決を受けたのは1968年9月。「死刑囚として世界で最も長く収監された」とギネス記録に認定されるなど、長期間の拘束が問題となっている。超党派国会議員の「救援議連」(会長、塩谷立・元文部科学相)は今月18日、死刑の執行停止を求める決議を採択。「司法判断に口出しはしない」としながら、人道的な観点から今後も処遇改善を求めていくという。
 法務省によると、今月25日現在、国内の確定死刑囚は131人で、うち89人が再審を請求中。市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」によると、確定後30年以上経過しているのは袴田死刑囚のほか▽第7次再審請求中の「マルヨ無線事件」尾田信夫死刑囚(67)=70年確定▽第8次再審請求中の「名張毒ぶどう酒事件」奥西勝死刑囚(88)=72年確定▽犯行時に心神喪失状態だった可能性がありながら控訴を取り下げた「ピアノ殺人事件」大浜松三死刑囚(85)=77年確定??の計4人。
 南山大の丸山雅夫教授(刑事法)は「長期にわたって執行できないのは、冤罪(えんざい)の疑いが払拭(ふっしょく)できないからだろう」と指摘する。【荒木涼子】

<毎日新聞 2014年03月27日>
袴田事件:弟との生活信じ81歳姉、月1回の訪問欠かさず
 「顔さえ見られればね」。静岡市(旧静岡県清水市)で1966年、みそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして強盗殺人罪などで死刑が確定した元プロボクサー、袴田巌死刑囚(78)。袴田死刑囚の78歳の誕生日だった今月10日、東京拘置所を訪れた姉秀子さん(81)は、ポツリとつぶやいた。独房生活が40年以上も続く弟は認知症の疑いがあり、3年半前から面会拒否が続く。それでも、月1回の訪問は欠かさない。
 この日、秀子さんは「拘置所の生活が少しでも明るくなれば」と、生花を差し入れた。誕生日の祝いの言葉は直接掛けられなかったが、拘置所の係官から朗報がもたらされた。「氏名、生年月日、年齢を正確に答え、問いかけにも応じる。会わせたいくらい元気」。糖尿病治療でインスリンを投与し食事量も制限されているが、精神状態は安定しているという。
 3年前は名前も書けない状態で、奇行も目立つとの説明を受けていた。「巌も闘っているんだと思う。自分の名前を言えたと聞き、症状が回復していると思いたい」。少し胸をなで下ろした。
 秀子さんが1人で暮らす浜松市内のマンションには、押し入れの衣類ケースいっぱいに袴田死刑囚からの手紙1000通以上が保管されている。1991年以降、返信が途切れるようになっても、「『へのへのもへじ』でもいいから何かよこしな」と手紙を出し続けている。
 第2次請求の決定を前に、改めて便箋を1枚ずつ見返した。30歳で逮捕された後、人生の大半を「無実の訴え」に費やした弟。死刑執行におびえて精神に変調を来した心の叫びが聞こえてきた。「帰っておいで」。6人きょうだいで2人だけとなった姉弟で暮らす日を信じ、マンションの一部屋を空けて待っている。【荒木涼子】

<共同通信2014/03/27>
【袴田事件】 一審死刑判決、今も悔やむ 「謝りたい」と元裁判官
 洗礼の準備のため訪れたカトリック教会で、神父の説明を聞く元裁判官の熊本典道さん=1月、福岡県古賀市
 静岡地裁の元裁判官、熊本典道さん(76)は、袴田巌死刑囚(78)を死刑とする判決文を書いたことを今も悔やんでいる。「こんな証拠で死刑にするのはむちゃ」と訴えたが、先輩の裁判官2人を説得できなかった。「袴田君に謝りたい。申し訳なかった」。その目は止めどない涙であふれる。判決から46年、この思いが晴れたことはない。
 ▽多数決
 一審を担当した3人の裁判官で最も若かった熊本さんは公判の途中から裁判に加わった。審理が進めば進むほど、自白や証拠への疑問が湧き上がった。しかし、有罪の心証を持っていた先輩裁判官2人と多数決になり、死刑判決を書くことを命じられた。書きかけていた無罪の判決文を破り捨てたという。
 死刑判決の付言で「長時間にわたり被告人を取り調べ、自白の獲得にきゅうきゅうとし、物的証拠の捜査を怠った」と捜査批判を繰り広げたのは、控訴審で捜査のおかしさに気付いてもらい、判決を破棄してほしかったから。だが、控訴審や上告審、第1次請求審で、死刑判決が覆ることはなかった。
 ▽告白
 「心にもない判決を書いた」と良心の呵責に耐えきれず、判決の翌年に裁判官を辞めた。弁護士になったものの、法廷で「私はやっていません」と訴えた袴田死刑囚のまなざしが忘れられない。酒浸りの生活を送り、一時期は自殺を考えたこともあった。弁護士も辞めてしまった。
 第1次再審請求の特別抗告審が大詰めを迎えた2007年に、無罪の心証を持っていたことを初めて明らかにした。「勇気ある告白」と称賛する声も多く寄せられたが、自分の中では「もっと早く言わないといけなかった」との思いの方が強かった。最高裁は特別抗告を棄却し、告白は実を結ばなかった。
 ▽洗礼
 「袴田君の気持ちを少しでも理解したい」。東京拘置所で84年にキリスト教の洗礼を受けた袴田死刑囚の心に近づこうと、自身も今年2月22日、カトリックの洗礼を受けた。
 脳梗塞で足や言葉が不自由となっているため、神父に福岡市の自宅に来てもらった。聖水を頭にかけられると、感激のあまり、おえつが漏れた。「袴田さんの心に近づけましたか」と問われると、すっきりした表情で深くうなずいた。
 袴田死刑囚の第2次再審請求で、静岡地裁は27日に再審可否の判断を示す。「再審は開始されるのか」と問い掛けると、熊本さんは即座に「開始は考えられない」と言い切った。「司法はあの時と何も変わっていないから」

<朝日新聞2014年3月27日>
袴田事件の再審開始決定、釈放へ 証拠「捏造の疑い」
写真・図版再審開始が決まり、感想を述べる姉の袴田ひで子さん。左は西嶋勝彦弁護団長=27日午前10時3分、静岡市葵区、山本壮一郎撮影
 1966年に静岡県の一家4人が殺害、放火された「袴田事件」で死刑が確定した元プロボクサー袴田巌(いわお)死刑囚(78)=東京拘置所在監=の第2次再審請求審で、静岡地裁(村山浩昭裁判長)は27日、再審開始を認める決定をした。村山裁判長は「捜査機関が重要な証拠を捏造(ねつぞう)した疑いがあり、犯人と認めるには合理的疑いが残る」と判断。「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」と刑の執行停止(釈放)も決めた。
トピックス「袴田事件」
 死刑囚の再審開始決定は免田、財田川、松山、島田の無罪確定4事件と、後に覆された2005年の名張毒ブドウ酒事件の名古屋高裁決定に次いで6件目。
 静岡地検の西谷隆次席検事は「予想外の決定。上級庁と協議して速やかに対応する」と語った。刑の執行停止に対しては即日、不服申し立てをする方針。再審開始の判断については、不服申し立てを28日以降に行う方向とみられる。
 事件は66年6月30日に発生。同年8月、みそ工場従業員だった袴田元被告が強盗殺人や放火などの容疑で逮捕され、捜査段階で犯行を認める自白調書が作られたが、公判では一貫して否認。静岡地裁は68年9月、自白調書1通と間接証拠から元被告の犯行と断定して死刑を宣告し、80年11月に最高裁で確定した。
 08年4月に始まった第2次再審請求の最大の争点は、犯行時の着衣の一つとされる白半袖シャツに付いていた血痕のDNA型鑑定だった。確定判決は、シャツの右肩についた血痕の血液型が同じB型だとして、元被告のものと認定。第1次再審請求でもDNA型鑑定が行われたが、「鑑定不能」だった。
 第2次請求で再鑑定された結果、検察、弁護側双方の鑑定ともシャツの血と元被告のDNA型が「一致しない」とする結果が出た。検察側は「鑑定したDNAが劣化しており、汚染された可能性がある」と主張。弁護側と鑑定結果の信用性を巡って争っていた。
 この日の静岡地裁決定は弁護側鑑定について、「検査方法に再現性もあり、より信頼性の高い方法を用いている」と指摘。「検察側主張によっても信用性は失われない」と判断した。そのうえで、犯行時に元被告が着ていたとされる着衣は「後日捏造された疑いがぬぐえない」と指摘。DNA型鑑定の証拠が過去の裁判で提出されていれば、「死刑囚が有罪との判断に到達しなかった」と述べ、刑事訴訟法上の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」にあたると結論づけた。
 さらに「捏造された疑いがある重要な証拠で有罪とされ、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄拘束されてきた」として、「再審を開始する以上、死刑の執行停止は当然」とも指摘した。
 事件では起訴から1年後の一審公判中、現場近くのみそ工場のタンクから血染めの白半袖シャツやズボンなどが見つかり、検察側は犯行時の着衣を、パジャマから変更。静岡地裁判決は自白偏重の捜査を批判し、45通のうち44通の自白調書を違法な取り調べによるものとして証拠排除したが、5点の衣類を始めとする間接証拠類と自白調書1通で、死刑を選択した。
     ◇
 〈袴田事件〉 1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のみそ製造会社専務(当時41)宅から出火。焼け跡から専務、妻(同39)、次女(同17)、長男(同14)の遺体が見つかった。全員、胸や背中に多数の刺し傷があった。県警は同年8月、従業員の袴田巌さん(同30)を強盗殺人などの疑いで逮捕。一審・静岡地裁は袴田さんは家を借りるための金が必要で動機があるなどとして死刑を宣告した。この時、死刑判決を書いた熊本典道・元裁判官は2007年、「捜査段階での自白に疑問を抱き、無罪を主張したが、裁判官3人の合議で死刑が決まった」と評議の経緯を明かし、再審開始を求めていた。

<2014.3.27 共同通信>
529人死刑判決「常識外れだ」 米国務長官、エジプトに撤回促す
 ケリー米国務長官は26日、エジプトの裁判所がモルシ前大統領を支持するイスラム組織ムスリム同胞団のメンバーら529人の死刑判決を下したのは「常識外れだ」と批判する声明を出し、軍主導の暫定政権に対して判決を破棄するよう求めた。
 米政府は既に、軍のクーデターにより成立した暫定政権への援助凍結措置の拡大もあり得ると警告。長官自らが声明を出すことで圧力を強めた。
 声明は、裁判所がわずか2回の審理で死刑判決を出したのは司法手続きの最低基準さえ満たしていないと批判。司法制度を政治的な報復などに使わないことは「正統な政府として(認められるために)不可欠だ」と述べた。

<MSN産経2014.3.27>
弁護団「主張が100%認められた」
 「主張が100%認められた決定文だ」。袴田巌元被告(78)の再審開始を認めた静岡地裁決定を受け、弁護団の小川秀世事務局長は喜びをあらわにした。
 西嶋勝彦弁護団長は決定で「5点の衣類」が捏(ねつ)造(ぞう)された疑いにまで踏み込んでいる点について触れ、「捏造に関わった人たちは名乗りを上げて真相を明らかにしてほしい。また捜査機関だけでなく、誤った判断をした司法も猛省してほしい」と批判した。
 第2次再審請求審で、検察側が新たに約600点の証拠を開示したことについては「今回は、捜査機関が隠し持った証拠を引き出したことが大きな要因になった。これからは、証拠開示を求められたら検察側は応じるべきだ」とした。
 また、地裁が袴田被告の拘置の停止を認めたことについて「(死刑囚の)再審開始で裁判所が拘置の停止を命じたのは、前例がない。学説の中には当然認めるべきだとするものもあったが、疑心暗鬼だった。申し立てが受け入れられてよかったと思う」と話した。

<朝日新聞2014年3月27日>
袴田死刑囚の姉ら拘置所到着 「どうしても会いたい」
 静岡地裁の再審開始決定を受け、袴田巌死刑囚(78)の姉ひで子さん(81)が27日午後3時ごろ、支援者らとともに、袴田死刑囚がいる東京・小菅の東京拘置所に到着した。ひで子さんは「ただ、ただ、うれしいだけです。巌の拘置を一日も早く解いてあげたい」と改めて喜びを語った。
特集:袴田事件
 袴田元被告は精神を病んでおり、ひで子さんが毎月面会に出向いても、会えない状態が3年半続いている。ひで子さんは「いつもなら、会いたくないと言われたらすぐに帰るんですが、今日はどうしても会いたい。いい知らせがあるからどうしても出てこいと言って、頑張るつもりです」と話した。
 最初にかけてあげたい言葉は何かと聞かれると、「本人が分からなくても、『元気か?再審開始になった』と言ってみようと思います」と答えた。

<NHK3月27日>
袴田元被告 釈放の手続き開始
 昭和41年に静岡県で一家4人が殺害された、いわゆる「袴田事件」で死刑が確定し、27日、再審=裁判のやり直しと釈放が認められた袴田巌元被告について、検察は、裁判所の決定に基づいて釈放の手続きを始めました。
 袴田元被告は逮捕から48年たって釈放されることになりました。
 袴田巌元被告は昭和41年、今の静岡市清水区でみそ製造会社の専務の一家4人が殺害された事件で強盗殺人などの罪で死刑が確定し、無実を訴えて再審=裁判のやり直しを求めた結果、27日、静岡地方裁判所で認められました。
 裁判所は、決定で、袴田元被告が事件を起こしたときに着ていたと、かつての死刑判決で認定された衣類について、捜査機関がねつ造した疑いがあると指摘しました。
 そのうえで「袴田元被告は死刑の恐怖の下で極めて長い間、身柄を拘束された。これ以上、勾留を続けることは耐えられないほど正義に反する」と指摘して、死刑の執行と勾留を停止し、釈放を認める異例の決定をしました。
 検察は、釈放を認めた決定に基づいて釈放の手続きを始めました。
これによって、東京拘置所に勾留されてきた袴田元被告は、昭和41年に逮捕されて以来、48年たって釈放されることになりました。

<毎日新聞2014年03月27日>
袴田事件:袴田巌元被告が東京拘置所から釈放
 静岡市(旧静岡県清水市)で1966年、みそ製造会社の専務一家4人が殺害された強盗殺人事件で、27日の静岡地裁決定を受け、強盗殺人罪などで死刑が確定した元プロボクサー、袴田巌元被告(78)が同日夕、東京拘置所から釈放された。死刑囚に対する拘置停止決定と釈放は初めて。

<NHK3月27日>
再審開始「うそだ 関係ない」と繰り返す
 いわゆる「袴田事件」で死刑が確定し、27日、再審=裁判のやり直しが認められた袴田巌さん。
 決定文を見せても「うそだ、関係ない」などと繰り返すばかりだったということです。
 裁判所の決定を受けて、姉の秀子さんとともに袴田さんと面会した戸舘圭之弁護士によりますと、袴田さんは黄色いシャツにベージュのズボン姿で4年ぶりに面会の場に姿をみせました。
 以前の面影を残しているものの髪の毛は薄くなり、秀子さんたちがアクリル板越しに決定文を見せても「うそだ、関係ない」などと繰り返すばかりだったということです。
 しかし、「食事はどうですか」と尋ねると「粗食で頑張っている」とはっきり答えたということです。
 面会は20分ほどで終わり、その後、釈放が決まると袴田さんは拘置所の職員に連れられて応接室に来ました。
 長期間の勾留で靴はぼろぼろになってしまったため、拘置所で借りた靴を履き、衣類など身の回りのものを入れた紙袋を1つだけ持っていたということです。
 涙を浮かべる秀子さんに対し、袴田さんは特に表情を変えることはなかったということです。
 戸舘弁護士は、「あまりにも突然のことで袴田さん自身も驚いているのではないか。これからゆっくりゆっくり社会に慣れていってもらえればいいと思う」と話していました。

<イランラジオ>
アムネスティ、日本の死刑を非難
 国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが、日本での死刑執行を非難しました。
 フランス通信が東京から伝えたところによりますと、アムネスティは、27日木曜、日本の死刑は秘密主義の下で行われているとし、長年孤立した独房で刑の執行を待っている死刑囚に対する政府の対応を非難しました。
 アムネスティは世界の死刑に関する年次報告の中で、「国連の拷問対策委員会は、日本の司法制度に関して懸念を示している」としました。
 この報告では、2013年、日本では8人の死刑が執行されたとし、「日本の死刑執行は依然として秘密主義の下で続けられている」とされています。
 さらに、中国が最多の死刑執行を行っているが、日本とアメリカは、死刑を執行している唯一の先進民主主義国だとしました。
 国際人権団体は、日本の司法制度を非常に野蛮だとし、その理由として、死刑囚は何年も独房で刑の執行を待っており、刑の執行が伝えられるのがわずか数時間前であることを挙げています。

<NHK3月27日>
釈放受けて「死刑制度の見直しを」
 死刑制度に反対する国際的な人権団体が東京で集会を開き、再審が認められた袴田事件について「長期間の勾留は人権を侵害しており、今回をきっかけに死刑制度を見直すべきだ」と話しました。
 「アムネスティ・インターナショナル日本」は、毎年、世界の死刑の実態を調査するなど死刑制度の廃止に向けた活動を行っています。東京で開かれた集会で若林秀樹事務局長は、再審が認められ釈放された袴田事件について、「長期間にわたって、いつ執行されるか分からないなかで勾留されていたのは世界的に見て異常で、人権が侵害されている」と話しました。
 そのうえで、「世界ではすでに3分の2の国が死刑を廃止している」と述べ、日本でも死刑制度を見直すきっかけとすべきだと強調しました。
 また、東京高等裁判所の元裁判長で弁護士の木谷明さんは、「身に覚えのない罪で命が奪われることは非常に恐ろしくどんなに制度を整備しても完璧にえん罪をなくすことはできない。それでも死刑制度を維持すべきかどうか国民の間で議論すべきだ」と話しました。

<日本経済新聞 2014/3/27 >
中国の死刑執行、世界最多数千件 人権団体13年報告書
【ロンドン=共同】国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は27日、2013年の世界の死刑に関する報告書を発表、中国での死刑執行数は数千件に上るとみられ、世界で最も多いと指摘した。
 信頼に足る情報が不足しているとして、中国の具体的な死刑執行数は記していない。同団体は、中国政府は死刑執行が近年減っていると主張しているものの「重要情報の開示がなければ検証もできない」と批判。死刑執行数などの情報を公開するよう強く求めた。
 報告書によると、死刑は昨年、22カ国・地域で行われた。少なくとも778人の死刑執行が確認され、12年と比べ約14%増えた。中国以外では、イラン(少なくとも369人)、イラク(同169人)、サウジアラビア(同79人)と中東での死刑執行も目立った。米国は39人、日本は8人。
 北朝鮮については具体的な死刑執行数を記していないが「信頼できる情報として、少なくとも70人の死刑が執行された」と指摘。ただ「実際の数字はそれよりもはるかに多いだろう」としている。
 報告書によると、死刑存置国は58カ国・地域で、13年末時点で少なくとも2万3392人の死刑囚がいる。

<AFPBB2014年03月27日>
13年世界の死刑執行、前年から増える 中国1位 アムネスティ
【3月27日 AFP】国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)は27日、2013年に世界各国で確認された死刑執行数は前年を上回る778人だったと発表した。
 アムネスティが毎年発表している世界の死刑判決と執行をまとめた報告書の2013年版によると、死刑増加の背景にはイランとイラクにおける死刑執行の急増がある。さらに報告書は、依然として中国は群を抜く世界最大の死刑執行国だと指摘した。中国での死刑執行数は、他国での執行数を全て合わせた合計をも超える数千人に上るとみられている。
 アムネスティによると、中国は死刑判決と執行に関する数字を依然として国家機密扱いとの理由で公表していない。
 アムネスティのグローバル問題担当、オードリー・ゴーグラン(Audrey Gaughran)氏はAFPの取材に、「死刑に関する中国の秘密主義にもっと目を向ける必要がある」と強調し、「中国当局は2007年以降、死刑の数は減ったと言っている。ならば、そのデータを公表して見せてほしい」と語った。
 2013年に死刑執行が最も多かった上位5か国は中国を筆頭に以下、イラン、イラク、サウジアラビア、米国となっている。(c)AFP/Robin MILLARD

<毎日新聞2014年03月28日>
社説:袴田事件決定 直ちに再審を開始せよ
 捜査側の証拠捏造(ねつぞう)の疑いにまで踏み込んだ事実上の無罪認定だ。
 静岡県で1966年、一家4人が殺害された袴田事件で、静岡地裁が再審開始の決定を出した。袴田巌元被告(78)のこれ以上の拘置は「耐え難いほど正義に反する」との地裁の決定で、袴田元被告は逮捕から48年ぶりに釈放された。
 再審に費やした時間は、あまりに長すぎた。検察は決定に不服があれば高裁に即時抗告できる。だが、決定の内容や袴田元被告の年齢を考慮すれば、再審裁判をするか否かでこれ以上、時間をかけてはならない。速やかに再審裁判を開始すべきだ。
 再審の扉は、新証拠が提示されなければ開かれない。今回の第2次再審請求審では、確定判決で犯行時の着衣とされたシャツなど5点の衣類のDNA型鑑定が焦点となった。
 地裁は、「血痕が袴田元被告や被害者と一致しない」とした弁護側のDNA型鑑定を新証拠と認め、袴田元被告を犯人とするには合理的な疑いが残るとした。「疑わしきは被告人の利益に」の刑事裁判の原則が再審にも当てはまるとした最高裁の白鳥決定に沿った妥当な判断だ。
 決定は、5点の衣類が、事件から1年以上経過して発見されたことを「不自然だ」と指摘した。「後日捏造された疑いを生じさせる」として、捜査当局が、なりふり構わず証拠を捏造した疑いまで投げかけた。
 証拠の捏造があったとすれば許されない。確定裁判でも45通の自白調書のうち44通の任意性が否定され、証拠不採用になった。証拠が不十分な中、犯人視や自白の強要など不当捜査が行われた疑いが残る。静岡県警は捜査を徹底検証すべきだ。
 検察の責任も大きい。第2次再審請求審では、公判で未提出だった約600点の証拠が地裁の勧告を受けて新たに開示され、弁護側が確定判決との矛盾点などを突いた。
 裁判の遂行には、公正な証拠の開示が不可欠だ。東京電力女性社員殺害事件や布川事件など近年、再審無罪が確定した事件でも、検察の証拠開示の不十分さが指摘された。被告側に有利な証拠を検察が恣意(しい)的に出さないことを防ぐ証拠開示の制度やルールが必要だ。
 一連の再審請求審を振り返れば、裁判所も強く反省を迫られる。81年提起の第1次再審請求審は、最高裁で棄却されるまで27年を要した。自由を奪われ、死刑台と隣り合わせで過ごした袴田元被告の長い年月を思うと、迅速な裁判が実現できなかったことが悔やまれる。
 半世紀近い塀の扉を開けたのは最新のDNA型鑑定の成果だが、適正な刑事手続きや公正な証拠開示など国民に信頼される刑事司法の原点を改めて確認したい。

<東京新聞2014年3月28日>
【社説】袴田事件再審決定 冤罪は国家の犯罪
 裁判所が自ら言及した通り、「耐え難いほど正義に反する状況」である。捏造(ねつぞう)された証拠で死刑判決が確定したのか。速やかに裁判をやり直すべきだ。
 事件発生から一年二カ月後に工場のみそタンクから見つかった血痕の付いた衣類五点は、確定判決が、袴田巌さんを犯人と認定する上で最も重視した証拠だった。
 その衣類について、今回の静岡地裁決定は「後日捏造された疑いがある」と述べた。
 検察庁も裁判所も証拠の捏造を見抜けないまま死刑を宣告していたのであろうか。
◆「こちらが犯行着衣」
 絶対にあってはならないことであるが、死刑を言い渡した当の裁判所が、その疑いが極めて高くなったと認めたのである。ただならぬ事態と言わざるを得ない。
 そもそも、起訴の段階で犯行着衣とされたのは、血痕と油の付着したパジャマだった。
 ところが、一審公判の中でパジャマに関する鑑定の信用性に疑いがもたれるや、問題の衣類五点がみそタンクの中から突然見つかり、検察官は「こちらが真の犯行着衣である」と主張を変更した。

 袴田さんは、公判では起訴内容を否認したが、捜査段階で四十五通の自白調書が作られていた。毎日十二時間以上に及んだという厳しい取り調べの末に追い込まれた自白で、その内容は、日替わりで変遷していた。

 一審判決は、そのうち四十四通を、信用性も任意性もないとして証拠から排斥したが、残り一通の検察官作成の自白調書だけを証拠として採用し、問題の衣類五点を犯行着衣と認定して死刑を言い渡した。判決はそのまま高裁、最高裁を経て一九八〇年に確定した。この間、どれほどの吟味がなされたのか。

 この確定判決をおかしいと考えていたのは、再審を請求した弁護側だけではなかった。
◆新証拠の開示が鍵に

 一審で死刑判決を書いた元裁判官の熊本典道さん(76)は二〇〇七年、「自白に疑問を抱き無罪を主張したが、裁判官三人の合議で死刑が決まった」と告白している。
 「評議の秘密」を破ることは裁判官の職業倫理に反する暴挙だと批判されたが、この一件で、袴田事件に対する市民の疑念も決定的に深まったのではないか。
 第二次再審請求審では、弁護団の開示請求を受けて、裁判所が検察側に幾度も証拠開示を勧告。静岡地検は、これまで法廷に提出していなかった五点の衣類の発見時のカラー写真、その衣類のズボンを販売した会社の役員の供述調書、取り調べの録音テープなど六百点の新証拠を開示した。その一部が再審の扉を開く鍵になった。
 これまでの再審請求事件では、捜査当局が集めた証拠の開示、非開示は検察の判断に委ねられたままで、言い換えれば、検察側は自分たちに都合のよい証拠しか出してこなかったともいえる。弁護側から見れば、隠されたことと同じだ。今回の請求審では、証拠開示の重要性があらためて証明されたといっていい。
 そもそもが、公権力が公費を使って集めた証拠である。真相解明には、検察側の手持ち証拠が全面開示されてしかるべきだろう。
 柔道二段で体格もよい被害者を襲う腕力があるのは、元プロボクサーの彼以外にない…。従業員だから給料支給日で現金があることを知っている…。袴田さんは、いわゆる見込み捜査で犯人に仕立てられた。一カ月余り尾行され、逮捕後は、時に水も与えられない取り調べで「自白」に追い込まれる。典型的な冤罪(えんざい)の構図である。無理な捜査は証拠捏造につながりやすい。
 冤罪であれば、警察、検察庁、裁判所、すべてが誤りを犯したことになる。真犯人を取り逃がした上、ぬれぎぬを着せられた人物の一生を破滅に追い込む。被害者側は真相を知り得ない。冤罪とは国家の犯罪である。
 市民の常識、良識を事実認定や量刑に反映させる裁判員裁判の時代にある。誤判につながるような制度の欠陥、弱点は皆無にする必要がある。
◆検察は即時抗告やめよ
 司法の判断が二転三転した名張毒ぶどう酒事件を含め、日弁連が再審請求を支援している重要事件だけでも袴田事件以外に八件。証拠開示を徹底するなら、有罪認定が揺らぐケースはほかにもあるのではないか。
 冤罪は、古い事件に限らない。今も起きうることは、やはり証拠捏造が明らかになった村木厚子さんの事件などが示している。
 袴田さんの拘置停止にまで踏み込んだ今決定は、地裁が無罪を確信したことを意味している。
 検察は即時抗告することなく、速やかに再審は開始されるべきである。

<毎日新聞2014年03月27日>
袴田事件:弁護団長「今夜はお姉さんと一緒に時間を」
 1966年に静岡市(旧静岡県清水市)で起きた強盗殺人事件で死刑判決が確定した袴田巌(いわお)元被告(78)について、静岡地裁が27日、再審開始と死刑、拘置の執行停止を決定したことを受け、静岡地検は同日、東京拘置所の袴田元被告を逮捕から47年7カ月ぶりに釈放した。袴田さんの弁護団は午後7時過ぎから東京・霞が関で記者会見し、釈放後の袴田さんの様子を明らかにした。
 弁護団事務局長の小川秀世弁護士によると、袴田さんは釈放直後は無表情だった。午後5時20分ごろに姉秀子さんらと車で拘置所を出た後は口を閉ざし、景色を眺めていた。午後6時20分ごろには久しぶりに乗る車に酔ってしまった。
 「外に出たい」。車を止めた駐車場で、袴田さんが歩き出した。「釈放されたって分かるでしょ」。小川弁護士が声を掛けると、「ありがとう」と声が返ってきた。小川弁護士は「やっと釈放の実感が湧いてきたのかな」と振り返り、顔をほころばせた。
 西嶋勝彦弁護団長は「袴田さんは今夜はお姉さんと一緒に時間を過ごすだろう。携帯電話も知らず、今後は生活環境の激変にどこまで対応できるのか、見極めたい」と気遣った。袴田さんの健康状態は安定しており、27日は東京都内のホテルに宿泊した。【山本将克、川名壮志】

<時事通信 2014年3月28日>
袴田さんの拘置停止支持=検察抗告退ける—東京高裁
 1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」の第2次再審請求審で、再審開始が認められた袴田巌さん(78)について、東京高裁(三好幹夫裁判長)は28日、拘置の停止を認めた静岡地裁の判断を支持する決定をした。
 静岡地裁は27日、再審開始決定とともに、死刑と拘置の執行停止を決定し、袴田さんは48年ぶりに釈放された。静岡地検は同日、拘置停止を取り消すよう、東京高裁に通常抗告していた。 

◎弁護士ドットコム
袴田さん釈放について、英国大使館「日本が死刑を廃止する必要性を示している」
 48年前に起きた強盗殺人・放火事件で死刑判決を受け、長期間にわたり死刑囚として拘置所の中で生活してきた袴田巖さん(78)が3月27日、釈放された。静岡地裁が再審開始を決定し、同時に拘置の執行停止という判断を下したためだ。
 この袴田さんの異例の釈放を受け、駐日英国大使館は28日、ツイッターに、こう投稿した。
 「45年間にわたり死刑囚として収監されていた袴田さんが、証拠がねつ造された疑いがあるため、釈放されました。これは、司法が万能ではないこと、そして日本が #死刑 を廃止する必要性を示しています」
 このように袴田さんの釈放に触れつつ、日本の死刑制度について、「廃止する必要性」があるという見解を表明している。
 英国では、死刑執行後に真犯人が発覚した「エヴァンス事件」という冤罪事件をきっかけに死刑廃止の機運が高まった。1960年代に反逆罪など一部の犯罪を除いて死刑が廃止され、1998年に完全な死刑廃止に至っている。

<千葉日報2014年03月29日>
飯塚事件、31日に再審可否決定 死刑執行後の開始例なく
 福岡県飯塚市で1992年、7歳の女児2人が誘拐、殺害された飯塚事件で死刑が確定、執行された久間三千年元死刑囚=当時(70)=の妻が申し立てた再審請求で、福岡地裁(平塚浩司裁判長)は再審を開始するかどうかの決定を31日に出す。
 死刑囚の再審は27日、「袴田事件」で静岡地裁が開始決定をしたが、執行後の開始決定は例がない。
 久間元死刑囚は捜査段階から一貫して無実を主張。確定判決は(1)DNA鑑定結果(2)遺体発見現場付近での不審人物と車の目撃証言(3)久間元死刑囚の車から検出された血や尿—などの状況証拠から有罪を導いた。

<MSN産経2014.3.29>
袴田事件、遺族の長女が自宅で死亡
 静岡県清水市(現静岡市清水区)で昭和41年、みそ製造会社専務の橋本藤雄さん=当時(41)=一家4人が殺害された「袴田事件」で、唯一助かった長女の昌子さん(67)が28日に自宅で死亡していたことが29日、関係者への取材で分かった。清水署では事件性はないとみている。
 市消防局や近所の住民の話によると、28日午後6時過ぎに昌子さんの家族が死亡しているのを発見し、119番通報した。すでに心肺停止状態で、消防は病院に搬送しなかったという。遺体は清水署で検視が行われたとみられる。
 昌子さんは事件当時19歳で、祖父母の家にいたため難を逃れた。4〜5年前に病気で夫を亡くしてから事件現場近くで1人暮らし。ときおり買い物に出掛ける程度で、近所付き合いはほとんどなく、市内に住む家族がたびたび様子を見に訪れていたという。
 事件で逮捕され、強盗殺人などで死刑が確定していた袴田巌さん(78)は、静岡地裁が27日に再審開始を決め、釈放された。

<アメーバニュース2014年03月30日>
英BBC 袴田事件受け「死刑制度はもはや過去のもの」
 1966年に静岡県清水市(当時)の味噌製造会社の専務一家4人が殺害された件で逮捕され、その後死刑判決を受けた袴田巌氏。48年間無実を訴えてきたが、27日に再審が認められ、保釈された。袴田氏による犯行との重要証拠とされていた衣類がDNA鑑定の結果、本人とは関係がないことが明らかになったのだ。
 この件は英・BBCでも大きく報じられ、27日には「死刑判決から46年、日本の男性が再審に」のタイトルと共に、袴田氏の姉・秀子さんが袴田氏の若き日の写真を手にする写真を大きく掲載した。
 記事内では、アムネスティ・インターナショナルのサリー・シェティ事務総長による「死刑制度がもはや過去のものとなったことは、長期的なトレンドとして明らかだ」とのコメントも紹介している。

<日本経済新聞 2014/3/31>
「飯塚事件」の再審請求を棄却 福岡地裁 「新証拠」認めず
 福岡県飯塚市で1992年に女児2人が殺害された「飯塚事件」で、福岡地裁(平塚浩司裁判長)は31日、殺人罪などで死刑が確定し、2008年に執行された久間三千年・元死刑囚(当時70)の妻の再審請求を棄却した。弁護団は即時抗告する方針。
 再審請求審は、無罪とすべき「新証拠」として弁護団が提出したDNA鑑定書の評価が争点だった。
 飯塚事件は1992年2月に発生。福岡県甘木市(現・朝倉市)で飯塚市の女児2人(いずれも当時7歳)の絞殺体が見つかり、福岡県警は被害女児などに付着した血液と元死刑囚のDNA型が一致したとする鑑定や目撃証言などから94年、元死刑囚を殺人や死体遺棄などの容疑で逮捕した。
 元死刑囚は捜査段階から一貫して無罪を主張。99年の一審・福岡地裁判決は状況証拠を総合判断して死刑とし、二審・福岡高裁も控訴を棄却。2006年の最高裁の上告棄却で死刑が確定、08年に執行された。09年、元死刑囚の妻が福岡地裁に再審請求した。
 ▼飯塚事件 福岡県甘木市(現・朝倉市)で1992年2月、飯塚市の女児2人(いずれも当時7歳)の絞殺体が見つかった。福岡県警はDNA鑑定や目撃証言などから、94年、久間三千年・元死刑囚を殺人や死体遺棄などの容疑で逮捕した。
 元死刑囚は捜査段階から一貫して無罪を主張。99年の一審・福岡地裁判決は状況証拠を総合判断して死刑とし、二審・福岡高裁も控訴を棄却。2006年の最高裁の上告棄却で死刑が確定、08年に執行された。09年、元死刑囚の妻が福岡地裁に再審請求していた。
 再審請求審は13年6月に終了。裁判長が同8月に定年退官したため後任の裁判長が引き継いだ。

<毎日新聞 2014年03月31日>
飯塚事件:刑執行の元死刑囚、再審認めず…福岡地裁
 福岡県飯塚市で1992年、女児2人が殺害された「飯塚事件」で、死刑執行された久間三千年(くまみちとし)元死刑囚(当時70歳)の再審請求について、福岡地裁(平塚浩司裁判長)は31日、請求を棄却した。争点となったDNA型鑑定の信用性について、久間元死刑囚とは異なるDNA型が見つかったなどとする弁護側の主張を「抽象的な推論に過ぎない」と退けた。
 ◇「弁護側主張は推論」
 死刑執行後に再審開始が決定されれば初めてとなるため判断が注目されたが認められず、弁護側は即時抗告する方針。福岡地裁は、当時の警察庁科学警察研究所の鑑定結果について「直ちに有罪認定の根拠とすることはできない」と精度の限界を指摘した。しかし「鑑定結果を除いても、久間元死刑囚が犯人であることについて高度の立証がなされている」などと結論づけた。
 殺人や略取誘拐などの罪に問われた久間元死刑囚は一貫して無罪を主張していたが、2006年9月に死刑が確定。再審請求準備中の08年10月に刑が執行された。09年10月に妻が再審請求していた。
 確定判決は、遺体などから採取された血液のDNA型と久間元死刑囚のものが一致したなどとして、有罪と認定した。しかし、DNA型鑑定の手法は冤罪(えんざい)だった足利事件でも使われた「MCT118型」で、時期も同じ導入初期だった。
 弁護側は捜査側が試料を保存していなかったため、鑑定に使われたDNA型の写真のネガを基に「元死刑囚とは異なり、真犯人とみられるDNA型がある」とする専門家の鑑定書を新証拠とした。福岡地裁は決定で、弁護側が主張する「真犯人のDNA型」については鑑定の過程で出る不要な線と認定した。
 弁護団の岩田務弁護士は記者会見で「決定は全く予想外の許し難い暴挙。再審を開始すれば死刑制度の問い直しにつながるという重大性に目を奪われている。久間氏の名誉を回復するまで全力を尽くす」と語った。
 福岡地検の玉置俊二次席検事は「裁判所が確定裁判の証拠や再審請求審における資料を的確に検討し、適切な判断をしたと考えている」とコメントした。【山本太一】
◆決定骨子
 【主文】
 本件再審請求を棄却する。
 【理由】
 ▽弁護側の専門家によるDNA型の鑑定書や、事件現場での車の目撃証言の鑑定書は新規性が認められる。
 ▽目撃証言の鑑定書は心理学の知見を踏まえた十分な検討がない。DNA型鑑定は科学警察研究所の鑑定結果を直ちに有罪の根拠とはできないが、弁護側の鑑定書は抽象的な推論に過ぎない。
 ▽DNA型鑑定を除いても久間元死刑囚が犯人という高度な立証がなされている。
飯塚事件
 福岡県飯塚市で1992年2月20日、登校途中の小学1年女児2人(共に当時7歳)が行方不明になり、翌21日、同県甘木市(現朝倉市)の山中で遺体で見つかった。県警は久間元死刑囚を94年9月に死体遺棄容疑で、10月に殺人容疑で逮捕した。久間元死刑囚は一貫して無罪を主張。福岡地裁は99年9月、死刑を言い渡し、最高裁が2006年9月に上告を棄却。08年10月、刑が執行された。

<MSN産経2014.3.31>
静岡地検が即時抗告
 昭和41年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で一家4人を殺害したとして強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌さん(78)に対する静岡地裁の再審開始決定について、静岡地検は31日、決定を不服として即時抗告を申し立てた。東京高裁の即時抗告審であらためて再審開始の可否が審理されることになる。
 同地検は抗告の理由について、「DNA型鑑定に関する証拠の評価などに問題がある」「証拠について、合理的な根拠もないのに、警察によって捏造(ねつぞう)された疑いがあるなどとしている点で到底承服できるものではない」などとしている。
 確定判決によると、袴田さんは勤務していたみそ製造会社の専務宅に侵入し、一家4人を刺殺、現金を奪って放火したとしていた。
 平成20年4月に姉の秀子さん(81)が第2次再審請求を申し立て、27日に静岡地裁が再審開始を決定。袴田さんは同日に釈放されている。

<テレビ朝日(04/01>
検察の即時抗告に弁護団が非難する声明 袴田事件
 再審開始の決定が出た袴田事件を巡り、袴田巌さんの弁護団は、静岡地検が即時抗告したことを非難する声明を出しました。
 袴田巌さんの弁護団:「即時抗告は極めて不当」「いたずらに再審開始決定の確定を先延ばしさせ、懸命の努力をしている袴田氏に無用の負担を負わせるだけ」
 袴田さんは、48年前の4人殺害事件で死刑が確定しましたが、静岡地裁は27日、やり直しの裁判の開始を決めました。この決定を不服として静岡地検は31日、東京高裁に即時抗告しました。「決定は、警察がねつ造した疑いがあるとしている点で到底、承服出来ない」としています。これに対し、弁護団は「全く不当な申立て。袴田さんに対する許し難い行為」と検察の対応を非難しました。今後は東京高裁が再審を開始するかどうか審理します。

<西日本新聞2014年03月31日>
死刑執行の命令は「再審事由」検討後 谷垣法相が答弁
 谷垣禎一法相は31日の参院決算委員会で、死刑判決の確定後に再審で無罪になる冤罪(えんざい)事件があることを踏まえ、「法律上、(再審請求は)死刑の執行停止を命じる事由にはなっていないが、一般論として、再審事由がないと認めた場合に初めて執行命令を発することになっている」と述べた。
 みんなの党の山田太郎議員が、27日に袴田事件の再審が認められたことや、31日に飯塚事件の再審請求が棄却されたことに触れ、再審請求の現状などを質問した。谷垣氏は「再審請求をしている以上、執行すべきではないのではないかという意見がこのごろよく寄せられる。死刑執行に関しては、再審事由の有無なども慎重に検討しなければならない」と答弁した。
 27日現在で死刑判決が確定している131人のうち、90人が再審請求中。死刑判決の確定後に再審で無罪となったのは免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の4件。














sikeihaisi140316-140331.txt



1/1
スポンサーサイト
line
line

comment

管理者にだけ表示を許可する

line
line

FC2Ad

line
プロフィール

ユニテ

Author:ユニテ
FC2ブログへようこそ!

line
最新記事
line
最新コメント
line
最新トラックバック
line
月別アーカイブ
line
カテゴリ
line
検索フォーム
line
RSSリンクの表示
line
リンク
line
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

line
QRコード
QR
line
sub_line
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。