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死刑廃止関連ニュース・1月後半

14/01/16-14/01/31 ニュース�

CNN(2014.01.17)
死刑に使う薬物変更、10分間あえいで死亡 論議も 米オハイオ州
(CNN) 米オハイオ州で16日、死刑執行のため薬物を投与された男が、約10分間にわたってあえぎ、体を震わせながら死亡した。執行に立ち会った記者などが明らかにした。
 死刑を執行されたのはデニス・マグワイア死刑囚。妊娠中だった当時22歳の女性に対する強姦と殺人の罪で1994年に死刑を言い渡された。
 死刑執行にはマグワイア死刑囚の子どもたちも立ち会っており、涙を流して動揺した様子だったという。同死刑囚は現地時間の午前10時53分、死亡を宣告された。
 米国ではオハイオ州など多くの州が死刑執行の際に薬物を投与しているが、欧州の医薬品メーカー各社が自社の製品を米国の死刑に使うことを禁じたため、代替薬の使用を迫られていた。
 オハイオ州は、デンマークのルンドベック社が製造する麻酔薬のペントバルビタールを使っていたが、ペントバルビタールの在庫が昨年9月で底を突いたことから、マグワイア死刑囚の死刑では初めて、鎮静剤のミダゾラムと鎮痛剤のヒドロモルフォンを組み合わせて使った。
 専門家によると、弁護人はこの組み合わせで死刑が執行されれば、マグワイア死刑囚は「息ができなくなり、苦しみと恐怖の中で死に至る」と予想していたという。
 今回の事態を受けて、この薬物の使用が残忍な刑罰を禁じた米国憲法に違反するかどうかの論議に火が付く可能性もある。

ダイヤモンド・オンライン
対談 漂白される社会
死刑で罪は償えない、生きて後悔し続けてほしい
やつれて震える父親と会って生まれた感情の変化

【大山寛人×社会学者・開沼博】
 売春島や歌舞伎町といった「見て見ぬふり」をされる現実に踏み込む、社会学者・開沼博。そして、母親を殺害した父親に死刑判決が下されるという衝撃的な体験をもとに、現在は、被害者遺族が望まない加害者の死刑があることを訴える大山寛人。『漂白される社会』(ダイヤモンド社)の出版を記念して、ニュースからはこぼれ落ちる、「漂白」される社会の現状を明らかにする異色対談。
 最愛の母親を殺害した父親を激しく憎みつづけていた大山氏。しかし、父親との面会をきっかけにある気持ちの変化が生じる。やつれて、震えながら目の前に座る父親と対面した大山氏は、いったい何を思ったのか。大山氏との対談は全4回。
メディアで描かれる青年の虚構と現実
開沼 大山さんのお話には、2つの要素があるようですね。つまり、一方には、お父さんの死刑を覆したいという思いや、自分の中の差別されてきた記憶、未来の家族が差別されるかもしれない懸念という個人の話があり、もう一方では、被害者が望まない死刑の問題や裁判員裁判の課題という社会の話があるように思います。個人の話と社会の話の2つは、最初はおそらくまったく別のところにあったはずですが、それが少しずつクロスしていくわけですよね。
大山 そうですね。
大山寛人(おおやま・ひろと)
 1988年、広島県生まれ。小学6年生のときに母を亡くし、その2年後、父が自身の養父と妻(著者の母)を殺害していたことを知る。その事実を受け入れることができず、非行に走り、自殺未遂を繰り返す。2005年、父の死刑判決をきっかけに3年半ぶりの面会を果たし、少しずつ親子の絆を取り戻していく。2011年6月7日、最高裁にて父の死刑判決が確定。現在は自らの生い立ちや経験、死刑についての考え方を伝えるべく、活動を続けている。
 著書に、『僕の父は母を殺した』(朝日新聞出版)がある。
開沼 前回も少し触れましたが、大山さんのドキュメンタリー映像を見ていると、話をわかりやすくし過ぎじゃないのと思ってしまうところもありました。ご自身はどう思っていますか?
大山 正直、僕も思いましたね。僕の人生を30分のテレビ番組で語ろうとするのが無理な話だと思います。ホームページや著書にたどり着いてもらえるきっかけになったことはよかったと思いますけど、着地点がない番組だなと思いました。
開沼 悲劇の主人公になってしまった、と。
大山 なってしまっている部分もあると思います。ただ、テレビを見たと言って連絡をくれる人もいるので、ありがたいと思ってもいます。「かわいそうな男の子」という部分を強く出され過ぎとったかなというのはありますけどね、正直。
開沼 もちろん、共感を得られるような見せ方をして社会にアプローチし、多くの人に知ってもらうということのメリットもあるでしょうね。
大山 そうですね。「感動しました」というメッセージもたくさんいただきます。ただ、僕は、感動してほしいとも、共感してほしいともまったく思わない。共感することなんか絶対に不可能です。僕をきっかけにしっかり考えてもらいたいというのがゴールであり、着地点です。
死刑囚も生身の人間だと気づいた父親との面会
開沼 なるほど。「情緒はいいから論理でわかれ」と。これは、それこそ「感動しました系」や「共感しました系」の人には響かないですよね。「そうですね、共感しました」と言われてしまう。「そうではなく、一緒に考えてくれ」といくら言っても「そうですね、感動しました」「いいね!」というリアクションしか返ってこない。
 これは、私も震災後の社会の研究をしているなかで痛感します。たとえば、「被災地の物語」はすぐに「子ども・年寄り・動物」に回収される。今年の3月11日にも、「被災地の子ども・年寄り・動物」で「感動・共感」パターンが溢れることでしょう。それはそれでいいと思いますが、問題は、その「感動・共感」がどれだけ持続するのかということです。
 同じパターンを何度も繰り返すと、はじめは集まってきてくれた人も次第に飽きていきます。論理は持続しても、情緒は飽きる。「うさぎを抱きしめて、子どものように涙する大山さん」への共感も大切ですが、共感した次に、あなたは具体的に何を考えたの、何をしてくれるの、どこへ進んでいくの、と問えることが重要だと思います。大山さんは、何について考えてもらいたいと思っていますか?
大山 具体的に言うと、死刑制度や加害者家族に対する差別ですけど、正直、僕自身も何が答え、どれが正解かはわからない。まったく答えは見つかってないし、常に考えている状態なんですけど、考えることが大切で、問題と向き合ってしっかりと考えたうえで、それぞれがそれぞれの答えにたどり着いてくれたらいいかなと思っています。
 昨日の今日まで何も考えていないのに、裁判員裁判制度に選ばれたから「じゃあ、ちょっと考えにゃいけんな」では遅い。こういう経験をした人もいるということも、僕のような思いを持っている人もいることも知ってほしい。
 僕自身、死刑制度には反対していません。僕のケースだからこの答えにたどり着いただけであって、人の数だけ答えはあると思います。目を背けずに向き合ってほしいという思いだけですね。
開沼 博(かいぬま・ひろし)
社会学者、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポルタージュ・評論・書評などを執筆。読売新聞読書委員(2013年〜)。
主な著書に、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。
第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。
開沼 答えが難しいと承知のうえで聞いてしまいますが、死刑制度に反対ではないと考えているなかで、死刑制度はどうあるべきだと思いますか?いまの制度にはどんな問題があると思いますか?
大山 今回は、僕が被害者遺族という立場で出ていますが、すべての遺族を代弁しているわけではありません。お母さんの親戚はお父さんの死刑を心から望んでいるし、そうではないケースも絶対にあると思います。仮にですよ、もし遺族の誰もが父親の死刑を願っていないという状況でも、保険金目的で2人殺してしまった場合、死刑が確定することもあると思います。
 裁判員裁判制度が始まって、被害者遺族が望まない加害者の死刑も存在するということを知ってもらったうえで臨んでもらえたら、情状酌量ではありませんけど、もう少し結果が変わってくるんじゃないかなと思うんですよ。実際に、刑務所に入って弱々しい姿の父親と面会することがなければ、僕も死刑を望んでいましたし。
 愛知県に原田正治さんという方がいらっしゃいます。原田さんの弟さんは、会社の社長に保険金目的で殺害されています。最初は死刑を希望していましたが、接見を重ねるごとに、死刑でなくて生きて罪を償ってほしいと思いが変わったようです。本当にケースバイケースで、安易に死刑を廃止しほしいとも言えません。
 言ってしまえば逃げとるんですね、答えが出せないから。死刑反対とは言えないと。そこを突っ込まれたら、本当にいまも返答ができません。いくら考えても答えが見つからないので。ゴール地点は何なのかと聞かれたら着地点はないし、すごく難しいところですね、それは。
開沼 直接会った瞬間に思いが変わるというのは、とても興味深い点です。人が人を裁く過程で、もちろん検察官には会っているわけですが、裁判官も基本は法廷で会う形だろうし、裁判員もそうですよね。で、事前に資料を見ている段階では、とんでもない殺人鬼を想定しているところから始まるわけじゃないですか。
 一方で、そうした前提なく顔を見合わせて、「やつれているな」「精神的にまいっているな」という状態を見るのとでは判断が違ってくる可能性があるわけですよね。いかなる判決を出すにせよ、人が人を裁くときは、そちらの部分を見なくてはいけないはずなのに。
大山 悪い面しか見ないですからね。
開沼 大山さんがお父さんに会った瞬間に起きた気持ちの転換は、裁判官や裁判員が予断を持って臨んでしまっている瞬間と重なり、そうではない、生身の人間がそこにいるんだと思い返した瞬間でもあるわけですか?
大山 そうですね。接見する前は、父親が犯した罪しか見ていませんでした。つらい思いもしているので、憎しみしかありませんでした。ただ、実際に会ってみると、生身の人間を見たという気持ちです。
やつれて震える父親を見て死刑への違和感を抱く
開沼 記憶に残っている中で、最も印象的だったことはありますか。そう考えるスイッチが入った瞬間は何でしょう?
大山 一番衝撃的だったのは、会ったときの姿ですね。何だろうな、疲れた顔というか、どんな言葉でも表現しがたい顔なんですよ。僕は母さんを殺されて、家も失って、友だちも失って、そいつのせいですべてを失っているわけですよ。殺したいほど憎しんどるわけですね。事件以来、親父の顔も見ていなかったですが、悪魔のような顔を想像していました。 けど、会ってみたらひょろひょろだったんですね。やつれているというレベルではありませんでした。
開沼 もともとぽっちゃりしていたわけでもない?
大山 そうですね。父親はガッチリした体格でしたし、そんな父親が今の僕よりも痩せていた。ほっぺも漫画で見るような痩け方をしていたし、目の下にはどす黒いくまがあって、逮捕以来まともに寝られてないんだろうなと。まったく生気を感じられませんでした。面会したのは3年半後でしたけど、その間、ほとんど寝られていないのだと思います。
 父親は常にプルプルプルプル震えていました。死刑に対する恐怖感ではなくて罪悪感、俺に対する罪悪感、お母さんに対する罪悪感だと思います。自分が犯してしまった罪の重さを理解したときに、罪を犯してしまった自分に対する憎悪や、すべての感情が入り交じったような表情をしとったんですよ。それが身体にも出ていました。言葉じゃ言い表せないし、文章でも表現できないんですけど、それを見た瞬間にスイッチが入りました。
開沼 それは実体験しないとわからないかもしれませんね。
大山 ニュースで「こういう事件がありました」となると、よく「2ちゃんねる」で、「こいつ、死ね」「さっさと死刑にしろ」とか、いろいろ書いてあります。テレビ画面の向こうでも「こういう事件があったんだ、ひどいことやるヤツがおるのう」と思うことはあります。
 やったことはやったこと、悪いことは悪いことです。でも、その人たちは、死刑判決を下された生身の人間を見る機会はそうないだろうし、見た者にしかわからないことがあると思います。
開沼 現状の制度として、死刑囚に一般の人が会う機会をつくることはできますか?
大山 できますよ。裁判で死刑が確定したら、血のつながりのある人間や拘置所が許可している弁護士の方などしか会うことはできませんが、それまでなら、赤の他人でも、行こうと思ったら面会はできます。向こうが拒否をしなければ、ですが。
死刑で母親が戻るなら「死刑にしてください」と言う
開沼 とはいえ、ちゃぶ台返しのようになりますが、直接会うことによって「生身の人間を知る」ことができる一方で、利害関係者、それこそ裁判員などが会ってしまうと、感情移入してしまう、「情にほだされる」可能性もあるんでしょうね。「情にほだされてしまったので、合理的な理由はないけど、今回は判決を緩めちゃいました」では、司法制度全体の信頼性も揺らぐ。だからこそ、基本的には客観証拠だけで判断しろという制度になっている。
大山 それが情じゃないかといったら、情もやっぱりありますね。でも、すべてがすべて情ではない。同情で許されるようなことはしてませんよ、あいつは。世界に1人しかおらん母親を殺しとるわけやから。
 たしかに、赤の他人がその姿を見たとしたら情なのかもしれませんが、当事者の場合は情だけじゃない。弱々しくなってかわいそうだから許してあげようかな、というのとはちょっと違いますね。
開沼 死刑廃止論を語る際に「生きて償ってほしい」という言葉がありますが、償えるものでもないということですか。
大山 「償う」という言葉しかなかったので償うと書きましたけど、償うことはできないと思います。殺しに限っては絶対に。僕も今まで罪を犯してきて、バイクを盗んだこともあるし、相手にケガをさせたこともあります。それについて慰謝料を払ったり、盗んだものは新しいものに買い直して渡しました。そうしたことに関してはある程度罪を償えると思いますが、命に対する償いは絶対にできないと思います。戻ってこないんでね。
 書籍の最後のページに、母さんに対する手紙を載せましたが、そこに書いてある通りで父親が死刑執行されることで母さんが戻ってくるなら、俺は快く「死刑にしてください」と今でも言うと思うんですよ。でも、それは叶わない願いだし、父親が死刑になっても何も変わらないと思います。
 僕の中では、償いとういよりも、生きて反省し続けてほしいという感じなんです。刑務所の中の暮らしというのは、自分の犯した罪の大きさを十分に理解して、反省して、更生する場だと思います。
 人を殺した人間が更生するのは難しいことかもしれないけど、今後も生きて反省し続けてほしい。生き地獄を味わってほしい、苦しめたいから死刑にしないということではありません。いつか出てきたときには、咎めたり責めることもなく、一緒に暮らせたらなという思いはありますから。
開沼 殺してしまって、死刑にしてしまって終わりというよりは、反省し続けることは、誰にとっていいことだと思いますか?遺族にとってということですか?それとも、「社会」にとって?
大山 遺族にとっても、反省し続けてもらうことが一番いいと思います。ただ、これは僕の立場だから言えるだけであって、まったく違う立場だったら「とんでもない!」と思う人もいるかもしれません。
開沼 そうでしょうね。
大山 死んだらそれまでだし、「そいつが死刑になって何が変わるの?」と思うんですよね。自分の手で殺せるわけでもないので。たとえば、僕に嫁と子どもがいたとします。こういうのはひどい例にしたほうがいいのかな……娘が変なヤツに強姦されて殺されたと。そのときは、自分の手で殺してやりたいほど憎いだろうし、そいつの死刑判決が確定して、自分の手で殺せるならスッキリするかもしれません。
 それが知らぬ間に死刑にされて、身内だろうが、遺族だろうが、加害者の家族だろうが、死刑が今日執行されますという通知は来ません。テレビや新聞を見てそこで知るんでしょうけど、なんの実感も湧かないと思うんですね、死刑にされるところを見られるわけでもありませんから。それならば、アメリカでは懲役200年とかあるじゃないですか、そのほうが遺族のためにもなるんじゃないかなと思います。
第三者団体には伝えられない真実の思いを伝えたい
開沼 他方で、死刑にしてもらわないと救われないという思いを持っている人もいると。
大山 そうですね、少なからずあるとは思います。むしろ、そういう人のほうが多いのかもしれません。でも、名古屋の原田さんとか、僕と同じような思いをしている人もいます。親族間の殺人ではなくても、死刑囚の顔を見て気持ちが変わったと言っている人がいるので、全員が全員そうは思っていないこともたしかです。そういうことを僕が伝えていけばいいのかなと。ただ、死刑廃止を訴える団体には入りたくありません。
開沼 入ってくれるように頼まれませんか?
大山 講演活動に呼ばれたことはあります。
開沼 当事者だけではなく、支援団体のような組織が死刑の周辺問題や裁判員制度の問題を扱っていますよね。そうした団体との距離感は、見極めながらやっている?
大山 呼ばれたら行くことはありますけど、いまの段階ではそれ以上のことはしません。ある弁護士会でパネルディスカッションをしたこともありましたが、死刑についての意見交換、いい経験ができたなと思いながら、茶番だったかなという気持ちが正直あります。
 なんだろうな、汚い言い方をしたらあれですけど、金のためにはしたくないというのがあるんですよね。そういう団体に行けば、どっかで金を儲けるヤツがいて、その金があるから活動できるわけですよね。僕も金持ちではありませんから交通費はいただきますけど、講演では基本的に謝礼をいただいていません。金の話が出てくるのがいやで、そういう団体には属さないというのはありますよね。
 うわべだけなんじゃないか、という気持ちもないことはないですけど、かといって、やっていることを否定はしません。本当に立派なことをされているなとも思います。ただ、僕は1人でやっていたほうが気が楽で、自分がやりたいことをできるかなと。
開沼 裁判員制度を変えるぞ、法律をこうするぞという動きと、当事者が抱える複雑な思いにズレがあるわけですね。
大山 死刑廃止の弁護士団体の話を聞いたこともありますが、言葉を難しくしすぎているので、第三者が聞いてもわからないと思います。勉強した人がそれに基づいてしっかりとした意見を述べているとは見えるんですけど、実際にふたを開けてみたら、難しい言葉が使ってあるだけです。あの話を聞いても身近な問題としては考えられないし、考えるきっかけいにしろというのが無理だと思いますよ。
開沼 死刑囚に会うことはその解消につながりますか?
大山 会えばいいという話にはならないと思いますが、経験したことを生々しく語ったほうがきっかけにはなると思います。
葛藤に向き合えるまで送った自暴自棄の生活
開沼 大山さんの苦しみや葛藤はとても大きかったと思います。ただ、大きい小さいではなく、いろいろな人がそれぞれの葛藤を人生の中で持っているわけですよね。それとどう付き合っていくかが重要で、大山さんにとっては、例えば、その1つが入れ墨だったのかもしれません。
 一方では、これまでの憎しみや、荒れていた時代のことを、入れ墨と一緒に押さえながら生きていくと決めた瞬間があり、他方では、それを押さえずに、荒れながら暮らしている時期がある。
 この二面性は誰もが持っているものかもしれません。自分はこう生きると決めたんだ、とはならずに、自分の葛藤やモヤモヤしたものと付き合いきれない。かといって、捕まるぐらい悪いことをするわけでもない。中途半端に誰かを攻撃してしまう人はたくさんいますよね。2ちゃんねるで「こんなの死刑だ」とやっているのはなくならないでしょう。
 自分の弱い部分、目を背けたい部分から目を背け続けて、荒れていたときはモヤモヤがあったと思いますが、その気持ちをどうやってコントロールできたんですか?そのまま破綻していた可能性もあるのに。
大山 コントロールできないことでさらに荒れていました。それがはけ口になっていたこともあります。
開沼 悪いことするのにも、それなりにコミュニケーション能力が必要ですよね。人間関係から完全に排除された孤独な状態では、「悪いこと」の選択肢も狭くなる。
大山 僕の場合は、金魚の糞みたい周りについとっただけでした。モヤモヤが何かといったら、父親に対する憎しみや恨みだったり、風呂場で殺されたお母さんに対する、かわいそうだなという悲しみです。風船が体の中で膨らんでいって、ギチギチになっとる感じでした。当然、何度も爆発しているんですけど、それでも膨らみ続けて、爆発の衝撃波は永遠に走り続けるような、何て言ったらいいのかわかりませんが。
 そういうとき、仕事でも何でも、1つのことに没頭するのは好きですが、一時でも忘れるかといったらそうはいきませんでした。ただ、たとえばケンカをして、殴られたり殴ったりの痛みや、バイクで走り回ったりで、人と違うことをしとる自分に酔っているときだけは、ちょっとだけ自分を切り離せたかもしれません。
 でも、そういうことをしたあとは、結局むなしさだけしか残らん。何も利はないですよね、得るものもないですし。で、また爆発して、また忘れたいから繰り返してということをしていました。一通りやり尽くして行き場がなくなってからは自殺未遂もしたので、結局はバランスを取れなかったんでしょうね。よう生きとったなあと思います。
 ただ、死ぬのも怖かった。風邪薬を600錠飲んで自殺未遂はしたものの、病院で聞いたら「2000錠は飲まにゃ死ねん」って言われました。「そんなの無理だ」と思う時点で、死ぬ気がないんだ、死ぬのが怖いんだなって自分でも思いました。バランスは取れてなかったけど、運よく生きとっただけです。
開沼 その後はバランスを取れたわけですよね。
大山 そうですね、面会後からはバランスが取れるようになってきましたね。

被害者遺族が望まない加害者の死刑がある。実名でそう訴える大山氏のもとには、嫌がらせが絶えない。インターネットでの誹謗中傷、あるときは、犬の死骸がドアノブにくくられていた。さまざまな葛藤と向き合いながら、それでも発信を続けたい思いが語られる。大山氏との対談最終回の更新は、2月3日(月)を予定。

毎日新聞地方版(2014年01月26日)
犯罪被害者の会シンポ:「裁判員の判断尊重を」  港 /東京
 全国犯罪被害者の会(あすの会・松村恒夫代表幹事)は25日、港区赤坂のドイツ文化会館でシンポジウムを開き、裁判員裁判の1審で出された死刑判決を破棄し、無期懲役とした裁判官だけの高裁判決について妥当性などを議論した。シンポでは、死刑が無期懲役になった2件の裁判(ともに上告中)の被害者遺族2人が発言した。
 2009年に都内で父親を殺害された五十嵐邦宏さん(47)は、被告が心中を図って妻子2人を殺害するなどし、服役した直後に事件を起こしたことに触れ、「計3人の命を奪った人が更生できるのか。罪の重さと罰の重さは等しくあるべきだ。市民感覚を生かすために導入された裁判員の判断を裁判官が無視してよいのか」と疑問を投げかけた。
 また、千葉県内で同年、娘を殺害された荻野美奈子さん(61)は、2審判決がこれまでの量刑判断の傾向に沿い、殺人の被害者が1人だったことも踏まえて刑を軽くしたとして「かけがえのない娘の命の重さは到底、犯人と比べものにならない。裁判官が先例を理由に裁判員の極刑判断をひっくり返しては、裁判員制度の意味がない」と訴えた。
 同会はシンポの最後に「(2審以上の)裁判所は、裁判員の量刑判断を尊重すべきだ」などとする決議を採択した。【伊藤一郎】

朝日新聞(2014年1月27日)
死刑の実情、元刑務官ら証言へ 2人殺害の裁判員裁判
 2月に大阪地裁堺支部で始まる象印マホービン元副社長ら2人強盗殺人事件の裁判員裁判で、死刑執行に立ち会った経験のある元刑務官らが証人に立つことが決まった。弁護側が死刑の実情を裁判員に説明するため裁判所に申請し、異例の立証計画が認められたものだ。
 出廷が決まったのは、作家の坂本敏夫さんと、立命館大産業社会学部の岡本茂樹教授(犯罪心理学)。坂本さんは元広島拘置所総務部長で、死刑執行に立ち会ったことがある。著書に「死刑のすべて」(文芸春秋)など。岡本教授は、ある無期懲役囚と6年間交流を続け、更生への心理を追った「無期懲役囚の更生は可能か」(晃洋書房)などの著書がある。
 弁護人の小田幸児弁護士は、2人の証人を申請した理由について「検察側の死刑求刑が予想される事件だが、死刑や無期懲役の実態は知られていない。裁判員には、実態を正しく知ったうえで量刑を判断して欲しい」と話す。2人の証人尋問は2月24日に行われる予定だ。
 坂本さんは法廷で、死刑判決が確定後、死刑囚がどのように拘置所で過ごすのかについて、刑務官の立場で見聞きした様子を説明する。また、死刑は通常、執行当日の朝に死刑囚に伝えられるといい、その際のやりとりなどを証言する。
 無職西口宗宏被告(52)=堺市北区=は2011年11〜12月、象印マホービン元副社長の尾崎宗秀(そうしゅう)さん(当時84)と主婦の田村武子さん(当時67)の2人を相次いで殺害し、現金を奪ったとして強盗殺人などの罪に問われている。初公判は2月12日で、同26日の結審まで9回の審理がある予定。西口被告は起訴内容を認める方針で、主な争点は量刑だ。
 過去の裁判例では、2人に対する強盗殺人に問われた被告が死刑を受けることは珍しくない。坂本さんらの証言などによって、裁判員が、死刑が量刑としてふさわしいと判断するかどうかが焦点となる。
 死刑求刑が予想された裁判員裁判では、09年7月に大阪市此花区のパチンコ店で5人が死亡した放火殺人事件で、11年10月、オーストリアの法医学者と筑波大名誉教授の元最高検検事が、絞首刑の実態などを証言した例がある。この事件で殺人罪などに問われた被告は一審、二審で死刑判決を受け、現在、最高裁に上告している。(鈴木洋和)
 ■判断の良い材料に
 〈渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話〉 珍しい取り組みだ。死刑は確定後、どういう経緯で執行されるのかや、死刑囚の日々の生活などはベールに包まれている。無期懲役囚についても実際はどのくらいの期間で仮釈放されるのかなど、裁判員には分かりづらい。証言は、裁判員が自分たちの科そうとしている刑が公正で理性的なものかを考える良い材料になるだろう。

読売新聞(2014年1月30日)
少年事件で死刑 どう判断
 2010年に起きた石巻3人殺傷事件で、1審の仙台地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた元解体工の男(22)の控訴審判決が31日、仙台高裁で言い渡される。09年に裁判員制度が導入されて以降、死刑が言い渡された唯一の少年事件。事件当時18歳7か月だった被告の年齢や、殺害の計画性をめぐる共犯者の新たな証言について、職業裁判官のみで裁く高裁がどう判断するのか注目される。
18歳7か月
 量刑判断で焦点となるのが、元解体工の事件当時の年齢だ。仙台地裁で10年11月に言い渡された1審判決では「ことさら重視することはできない」とし、犯行の残虐さや結果の重大性から死刑を選択した。
 控訴審で、弁護側は「年齢に比べても未成熟さがあり、生い立ちや家庭環境も影響している。責任を軽減させるものとして考慮されるべきだ」などと主張した。これに対し、検察側は「『精神的成熟度』は不明確で、量刑判断の決め手とすべきではない」と真っ向から反論した。
 もう一つの焦点が「殺害の計画性」だ。1審判決は、〈1〉凶器に指紋をつけないよう革手袋を準備〈2〉共犯者を犯人に仕立てるためジャンパーを交換——などの点を重視し、「周到に計画を立て、継続して殺意を持っていた」と認定した。
 控訴審では、弁護側は「偶発的かつ衝動的な犯行だった」ことを明らかにしようと、元解体工の「(被害者を刺す際)頭が真っ白になった」との供述に着目した。医師の精神鑑定結果などから、被害者が警察に通報したことをきっかけに、感情が突発的に変化し、爆発的な行動を取る「情動行為」によって、意識障害が生じていたと主張した。
共犯者の新証言
 弁護側が注目するのが、控訴審で、共犯者の元無職少年(21)が証言を翻した点だ。被害者宅に行ったのは「1審では殺す目的と言ったが、脅すつもりで、殺意はなかった」と語った。検察官から「被害者を非難するようなことを言ってはいけない」と言われたため、被害者の通報が殺害のきっかけになったと捉えられないよう、1審では偽りの証言をしたという。
 これに対し、検察側は「殺傷能力の高い牛刀を共犯者に万引きさせ、手袋も着けた」ことを理由に、殺害目的だったと主張した。
職業裁判官が判断
 最高検などによると、裁判員裁判での死刑判決はこれまで20件あるが、2審で判決が覆されたのは、東京高裁での2件しかない。最高裁は12年2月、1審の裁判員裁判で全面無罪、2審で逆転有罪となった覚醒剤密輸事件の上告審判決で、「(2審は)事後的な審査に徹するべきで、1審判決が不合理な場合だけ破棄できる」との判断を示した。
 常磐大の藤本哲也・教授(少年法)は「裁判員が下した少年への死刑判決について、2審で職業裁判官が判断する初めてのケース。最高裁判例や厳罰化の流れなどを鑑(かんが)みれば、地裁判決を覆すのは容易でないが、高裁の初判断は注視すべきだ」と話している。

毎日新聞(2014年01月31日)
石巻3人殺傷:仙台高裁1審死刑支持 元少年の控訴棄却
 宮城県石巻市で2010年、3人を殺傷したなどとして殺人罪などに問われた無職の元少年(22)の控訴審判決が31日、仙台高裁であった。飯渕進裁判長は「犯行には計画性があり、殺意は強固で確定的だった」と述べ、少年事件の裁判員裁判で初めて死刑とした1審・仙台地裁判決を支持し、元少年の控訴を棄却した。元少年は即日上告した。
 1審判決(10年11月)は計画的犯行と認定したうえで、「元少年が事件の重大性を認識しているとはいえない」などと更生可能性に否定的な見方を示し、死刑とした。
 控訴審では、共犯とされた男性(21)=殺人ほう助罪で不定期刑が確定=が「計画的犯行」との1審での証言を覆し、「証人出廷する前の打ち合わせで、検察官から虚偽の証言を強要された」と主張。これについて、飯渕裁判長は「1審時の証言は十分に信用に値する」と退けた。
 量刑については「人命軽視の態度は顕著。動機は身勝手で酌むべき余地は全くない」と断じたうえで、元少年の被告の死刑が確定した光市母子殺害事件などと比較するなどし、「当時18歳7カ月だったことなどを考慮しても死刑の選択を回避する余地があると評価することはできない」と結論付けた。
 控訴審判決によると、元少年は10年2月10日早朝、石巻市清水町の元交際相手の女性方に押し入り、女性の姉の南部美沙さん(当時20歳)と友人の大森実可子さん(同18歳)を牛刀(刃渡り約18センチ)で刺殺し、居合わせた南部さんの友人男性にも重傷を負わせた。その後、元交際相手の女性に刃物で切りつけてけがをさせ、車で連れ去るなどした。
 飯渕裁判長は主文言い渡しを後回しにし、休廷を挟んで約5時間かけて判決理由を朗読。元少年は前を向き、微動だにせずに聴き入っていた。
 元少年の弁護団は、共犯とされた男性の証言が判決で否定されたことについて、「被告の罪を軽くするためと評価された。それが今の裁判所の態度だ」と不満をあらわにした。【竹田直人、近藤綾加」
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