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人道外れる死刑制度=元世界銀行副総裁・西水美恵子

◇人の痛み、我が身重ねよ

 There,but for the grace of God,go I.「神の恩寵(おんちょう)がなければ、そこを行くのはこの自分だ」と訳すのだろう。死刑判決のニュースがあると心をよぎる言葉で、人の痛みに我が身を重ねろと叱られるように思う。

 16世紀中ごろイギリス国教会の聖職にあった、ジョン・ブラッドフォードの言葉だと伝わる。思いやり深い彼の人柄を慕い、教えに従う民が多く、カトリック信者だった女王メアリー1世のプロテスタント迫害を受けた。ロンドン塔に投獄されたブラッドフォードが、処刑場に引かれて行く死刑囚の姿を見てつぶやいた言葉だともいわれる。その彼も、火刑に処された。

 今日、欧州人権条約の批准国である英国に、死刑はない。窃盗罪にさえ死刑を適用した歴史を持つ国のこと、死刑廃止思想の歴史も長く、14世紀ごろまでさかのぼるらしい。紆余(うよ)曲折の歴史の末、死刑廃止に拍車をかけたのは、エバンズ事件。英国では広く知られる冤罪(えんざい)事件だった。妻と娘を殺害した罪に問われ、無罪を主張したエバンズが死刑に処された(1950年)。数年後、検察側証人が真犯人と判明。エバンズは死後、復権されたが、命のやり直しはできない。彼が学習障害を持ち、非識字だったこともあって、国民は大きなショックを受けた。

 この話になると、英国人である私の夫は、苦渋な表情のまま黙り込むのが普通だが、ブータンの雷竜王4世(先代のワンチュク国王)に賜わった謁見では違った。陛下が「仏教を国教とする我が国に、殺生禁断の戒を破る刑は矛盾そのもの」と、死刑廃止勅令(2004年)の理由を話され、英国について好意的に言及された時、夫が言った。「宗教が何であれ、死刑は人の道を外れる。母国が廃止したことはうれしいが、そこに至った動機が疎ましい。人が人を裁くことが完璧ではないからだとは、文明国の沙汰ではない。母国の品格のなさを、心底恥じている……」

 私たち夫婦が第二の故郷として選んだ英領バージン諸島にも、死刑はない。英国海外領土とはいえ、外交と国防以外は独立国同様の自治権を持つ。民意次第では英国と別の道を選べたが、島民の賛意は固かった。拙著「あなたの中のリーダーへ」(英治出版・12年)に詳しく書いたが、その背景には奴隷制度の過酷な歴史がある。

 1811年、バージン諸島植民地政府の要職にあった大農園主、ホッジ郷士が、絞首刑に処された。一人の奴隷をなぶり殺しにした罪での死罪判決だった。英国奴隷制度廃止法の成立より22年前。革命的なことだった。大英帝国カリブ海域総督が、自ら軍艦を率いて来島し、戒厳令をしいての執行だった。

 当時の世相と主流思考は、記録に残るホッジ被告の無罪申し立てに表れている。「所有物なる奴隷を所有者が殺すことは、法律上、犬を殺すことより重い罪ではない」

 この絞首刑を語る時、島の長老たちは、口癖のように言う。「奴隷時代には価値などなかった我ら黒人の命が、ホッジの時以来、白人と同じ値打ちになった」

 そして、若者たちを相手に語る時には、「間違えるな」と必ず諭す。「死刑は正気の沙汰ではない。人を殺すことが罪だからこそ、その罪の償いとはいえ、同じく人の命を奪うことは許されない。肌の色が何であれ、たとえホッジであろうとも、命は差別なく尊いのだ……」

 奴隷時代は、たった3、4世代前。高祖父母、曽祖父母らの痛みに、真摯(しんし)に我が身を重ねてこそ言えることだろう。

 ニュースに死刑判決を見ると、長老を見習えと自分に言い聞かせる。被害者と家族や、犯罪人と家族の苦悩は、想像さえできない。しかし、死刑執行の命令を下す責務を負う法務大臣と、執行に関わる刑務官らに身を重ねる時、自分にできないことを人にさせるわけにはいかないという思いが、胸を突き上げる。

 同胞の大半が死刑を支持すると聞くが、私は信じない。誠意を込めて人の痛みに我が身を重ねていないだけだと、思えてならないのだ。個人の見解はどうあれ、死刑を合法とする国の民は、人道を外れた罪人を、同じく人道を外れてあやめるという、連帯責任を負う。人ごとではない。

 近年、死刑を廃止する国が増え続けている。今は、全世界の3分の2以上にあたる141カ国が、法的ないしは実践的に廃止に至った。おのおの、国と民族の歴史や文化の壁を、超越してのことだろう。

 日本にもさまざまな壁があろう。しかし、我が国には、世界にまれな史実がある。弘仁9(818)年、嵯峨天皇が死刑を廃止し、廃止令は、その後約3世紀半もの間、存続した。このような歴史を誇る国のこと、いつの日か必ず廃止に行き着くと、確信する。

 その時、夫のように母国の品格を疑いたくないと、心底願う。バージン諸島の長老のように「命は差別なく尊いのだ」と、子孫に伝え続ける民の国であってほしい……。
                  毎日新聞 2012年06月10日 東京朝刊
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デヴィ夫人の問題提起

デヴィ・スカルノさん(通称・デヴィ夫人)が、光市母子殺人事件の犯人(当時18歳)に対して猛烈な怒りを3年前にブログで表明していました。私はそれをつい最近になって知りました。

デヴィ夫人がその事件を扱った本を買ったところ、タイトルに君付けの犯人の少年の名前が表記されていたために読む気がしなくなったと同時に怒りを覚えたといいます。

「なんで死刑囚に対して福田君となぜ『君』付けにするのでしょう。私はこの犯人福田は何回死刑になっても罪の償いはできないと思います。鬼畜に殺された愛する妻と赤ちゃんは永遠に帰って来ず、本村氏の心は永遠に哀しみの中にあり、癒されることなどないのです」と言っています。

その主張はもっともだと思います。加害者の少年にどういう事情があったにせよ、被害者のかけがえのない命が奪われたという事実は厳しく受け止めなくてはいけません。加害者の少年に、取り返しのつかないことをしたことに対する「痛み」があるにしても、かけがえのない家族の命を奪われた遺族の「痛み」こそ私たちは寄り添うべきだと思います。

加害者の少年は、犯行を反省することもなく被害者遺族を嘲笑する発言もしています。この少年に対する死刑という判決は、私も当然なものだと考えています。
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