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死刑廃止関連ニュース 15/01/01-15/01/15

◎ビジネスジャーナル誠
2015.01.02“冤罪”袴田事件はどのようにつくられ、どんな真相が隠蔽されたのか!?
 1966年に静岡県の一家4人が惨殺され、放火された「袴田事件」で、強盗殺人などの罪に問われ死刑が確定していた袴田巌さん(78)について、静岡地裁(村山浩明裁判長)は昨年3月27日、再審開始を認める決定をし、あわせて刑の執行停止も決めた。
 刑が確定した事件について、確定囚がその再審開始決定を得る事は、“ラクダが針の穴を通るより難しい”と言われる事もあるほど困難だ。袴田さんは逮捕からこの日まで約50年も塀の中にいた。しかも、死刑が確定した1980年からは、いつ“その日”が来るか、と怯えながらである。静岡地裁は「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑いがあり、犯人と認めるには合理的疑いが残る」とこれまでの捜査や裁判所の判断に誤りがある可能性を示唆している。
『袴田事件──冤罪・強盗殺人の真相』(山本徹美 /プレジデント社)は、絶版になっていた同書に追記がなされ再審決定後の7月に出版されたものだが、これによれば、確かにこの「袴田事件」は証拠捏造、自白の強要、見込み捜査など、捜査機関のずさんさ、乱暴さが際立っている。さらにカネ目的の“強盗殺人”には到底思えないような、真犯人による何らかの意図を感じさせる猟奇的な態様も見られるのだ。
 袴田事件は1966年6月30日の夜に静岡県清水市で起こった。味噌製造会社「こがね味噌」の専務(当時41)宅が火事になり、焼け跡から専務とその妻(同38)、次女(同17)、長男(同14)の遺体が発見された。全員に刃物によるものとみられる刺し傷が多数あったことから、事件として捜査開始。同年8月「こがね味噌」従業員であった元プロボクサー、袴田巌さんが逮捕された。袴田さんは逮捕当初から否認していたが約1カ月後に自白。公判開始以降、一環して否認を貫いたが、死刑判決が下され、最高裁で確定していた。
 まず逮捕直後から自白までの袴田さんには、この手のずさんな捜査にありがちな連日の厳しい取り調べが行われていたことは周知の通りだ。清水警察署が保管する「留置人出入簿」によると、袴田さんには基本、朝8時前後から23時前後まで取り調べが続き、自白までの数日間はラストスパートと言わんばかりに、午前8時前後から午前2時までの調べが行われている。この影響か、自白4日前には初めて医師の診察を受け「からだ全体がむくみまして、中耳炎を起こし、膿が出るようになりまして、耳などもほとんど、いったことが聞こえないようになりました」と訴えている。「寝不足が原因と思います。(午前)12時頃終わって、留置場に戻されまして、床につくんですが、かわるがわる酔っぱらいを連れてきまして、2つか3つ離れたとなりの部屋に入れまして、それが一晩中騒いでいるんです」とも訴えており、睡眠も十分ではなかったことが伺える。

「長期的な調べで、からだも疲れきって、ほとんど寝られないような状態で、その朝、9月6日だと思いますが、いつもと同じように引張り出されまして、そしていつにも増してテーブルをぶったたいたり、怒鳴ったりで、わたしは頭が痛くて、めまいもするし、とても疲れちゃって、午前中休ましてくれ、と頼んだです。ところが『だめだ』、と、『認めりゃ、休ましてやる』こういって警察官がいいまして、私が目をあいたら、調べ室がぐるぐるまわり出したもんですから、テーブルに手をついて、手をつくだけでも転びそうだものですから、頭をつっぷしていると、テーブル叩いて、『なんだ、その態度は』と、テーブルどんどん叩いていうので、静かにしてもらいたいから、『昼から、あんた方のいうように認めるから、午前中、休ましてくれ』といったのが、10時頃ではないかと思うんです」(昭和42年12月8日、第22回静岡地裁公判調書)
 ところがこうした袴田さんの話は、取り調べ室にいた巡査部長によれば「袴田は、自分のひざの上に両手を開いてついて、私の話を聞いておったわけですが、その両方の手を握りしめまして、こぶしをつくって顔をあげて、ぽろぽろと涙をこぼして『申しわけありません。私がやりました。うちのことはよろしくお願いします』というように断片的でありましたが申しました」とこんな具合に変貌している。取り調べ状況についての食い違いはこの場面だけでなく多々あったことが本作には記されている。
 とはいえ、これはまだ可愛い方だ。この事件における最大の問題は捜査機関によると思われる証拠の捏造、そして事件の骨子を早期に組み立て早くから袴田さんを犯人と決めつけてしまい、それに沿うように捜査を進めた点にある。実況見分調書にある証拠品発見の状況と、その後の警察発表による報道が微妙に食い違っていき、いつのまにか事実でないことが事実として広まってしまったりする、ということが本件ではたびたびあったようだ。例えば作者によれば、事件直後の7月4日、袴田さんの居室からシミの付いたパジャマが発見されたことについて、新聞社各社は次のように伝えている(すべて7月5日付朝刊)。
「多量の血こんが付着していた」(静岡新聞)
「血のついたパジャマと作業衣が発見され」(朝日新聞)
「特別捜査本部の発表によると、パジャマには多量の血こんがついており、作業着にも血こんがついている」(毎日新聞)
 袴田さんによるとパジャマは事件当日に着用して眠っており、火事に気づきそのまま消火活動をしたという。捜査本部はこのパジャマを着て犯行に至ったという筋書きを組み立てていた可能性がありありと伺える。実際、袴田さんの自白調書にはパジャマを着てその上にゴム製のカッパを着て犯行に及んだと記載されていた。消火活動にあたっていた従業員らの調書にも、袴田さんがパジャマを着て頭からずぶぬれになっていた、という記載がある。
 ところが、事件から1年後の67年8月31日、「こがね味噌」工場の一号タンクから、味噌の中にうまった状態の5点の衣類が見つかり、これらには多量の血痕が付着していた。さらにマッチ箱と絆創膏も同タンク内から発見された。一審公判真っ最中の時期だったが、なんと検察官は冒頭陳述を変更。犯行時に着ていた着衣はパジャマからこのとき発見された衣類に取って代わったのである。

 また供述調書にも変更を加えている。もはや何が真実だったのかどんどん分からなくなってくるのだ。ちなみに事件当時に衣類を隠せるほどの味噌がタンクに残っていたかについては従業員ごとに話が食い違っているし、この味噌を踏んでならす作業を誰が行っていたかについても、食い違いがある。何より、この時発見された衣類は袴田さんの体型に合っていなかったことも分かっている。お粗末としか言いようがない。
 さらに強盗殺人というからにはカネ目当ての犯行であり、奪われた金品が存在し、それが何らかの目的で使われたとみるべきだが、袴田さんが事件後にまとまったカネを使った形跡も見当たらなかった。自白調書には事件後、「こがね味噌」元女性従業員のもとに袴田がやってきて「僕のぜにだけど取りにくるまであづかっておいて下さい」と、カネを渡したとある。
 そして不思議な事に、この女性とその家族について捜査員が調べを行った直後、「匿名で清水警察署に対し『ミソコウバノボクノカバンノナカニシラズニアッタツミトウナ』と書いた手紙と一緒に現金5万700円が一部焼燬(ショウキ)されて郵送されて来たので、直に同人方を捜索して筆跡対象資料を得たうえ筆跡鑑定を行ったところ女の筆跡と一致したので同女が被告人から5万円を預かり保管していた後警察の調べを受けて贓物寄蔵の罪に問われるのを恐れて匿名で郵送して来たことが明らかとなった」という。
 女性は公判でカネを受け取った事は否定しているが、一審の筆跡鑑定ではこの手紙を書いたのはこの女性だとされた。二審の鑑定では「その信頼性はない」と結論付けられており、この匿名の郵便物と女性、ひいては袴田さんとの接点は消えている。このように不思議なことが次々と起こり、それによって証拠や論点がたびたび変わっていくというのが袴田事件であった。
 ところで殺害現場は、到底金目的とは思えない、真犯人の何らかの意図を感じさせるものが残されていた。次女が刺され、倒れていた場所の下に「ピアノ上部の鴨居」が倒れており、さらにその額を取り去ると、使用済み生理用パンツが2枚置かれていたという。さらに水を含んだマッチも置かれていた。本書は、これについて以下のように分析している。
「なんとも、おぞましい“処刑”ではないか。次女は、この板を枕がわりにして、うつ伏せにされていたのである。犯人は彼女の顔や上半身をことさらによく焼くことを意図してこういう火葬台ともいうべき“装置”を考案したのだ」
 強盗殺人として捜査されているが現場には金品が多数残されていた。真犯人が次女殺害現場に残した生理用パンツ2枚の意味は、何なのか。少なくともこの状況だけみれば、とてもカネ目的の犯行には見えない。

「g2」(講談社)連載中の「袴田巖 塀の中の半世紀」によると、袴田さんは死刑確定後の93年、姉の秀子さんとの面会時に「1000メートルもある猿が電波を送るので顔が変わる。血圧なども変わる。人間は死なないが、電波で猿に吸収されしなびていく。(略)神様がくれた人間の美しい顔を欲しいので、猿の霊が電波で人間の顔を猿にする」など不可解なことを言うようになったうえ、面会に訪れても「霊と話をするので忙しい」と断るようになったという。
 秀子さんは98年暮れ、当時、死刑廃止問題に取り組んでいた社民党衆議院議員の保坂展人に助けを求め、法務省に問い合わせてもらった。矯正局長はこのとき「以前は米粒を一粒ひとつぶ洗って食べるということもあったそうですが、現在はそういう行動もなくなったそうです」と告げ「精神的に安定しています」とも言ったという。99年、袴田さんの状態を診た医師は「死刑を前提とした長期間の拘束による『拘禁反応』との見方を示した」。
 長期間のストレスフルな勾留生活で袴田さんはぼろぼろになっていた。真犯人は、長年無実の罪で塀の中にいた袴田さんのことをどう思っていただろう。
(高橋ユキ)


◎プレジデントオンライン
袴田冤罪事件「まだまだ続く厳しい道のり」
NEWS FILE
PRESIDENT 2015年1月12日号
巖さんの病状に明るい兆し
冤罪事件の元被告?袴田 巖?
1936年、静岡県浜松市生まれ。元プロボクサー。30歳のとき勤務先の専務宅が放火、一家4人が惨殺された事件で逮捕。80年に死刑が確定したが、14年3月に再審開始が決まり、47年7カ月ぶりに釈放された。(写真左は姉・秀子さん)
2014年3月に再審が認められ、約48年ぶりに釈放された無実の死刑囚・袴田巖さん(78歳)。自由を奪われた状態が続き、精神が不安定になる拘禁症や糖尿病などの影響で3カ月間入院。7月初めに退院し、今は姉の秀子さん(81歳)の自宅で暮らしている。だが、ほとんど外出することはなかった。

8月末には自宅で倒れ緊急入院、周囲を慌てさせた。高熱から肺炎を起こし、さらに胆石の除去手術と心臓カテーテル手術を受け、1カ月の入院を余儀なくされた。しかし順調に回復、退院後はそれまでとは見違えるように意欲的になった。秀子さんが言う。

「毎日のように買い物や散歩に出かけています。集会にも進んで参加するようになり、行動範囲が広がりました。きっと退院後、体調がとてもよくなったのでしょう。随分と話すようにもなりました。10月には2泊3日で東京の集会に出席し、上野動物園や東京タワーの見学もしました」

旧友との再会もあった。1963(昭和38)年、埼玉県狭山市で女子高生が殺害された狭山事件で無期懲役とされ服役、仮釈放後も冤罪を強く訴えている石川一雄さん(75歳)である。石川さんは一審で死刑の判決を受け東京拘置所に幽閉されたが、3つ隣の房にいたのが巖さんだった。10月26日、石川さんが自宅を訪ねると、「石川さんかい、いらっしゃい」と、巖さんは玄関先で出迎えた。

「拘置所の運動場などでよく一緒になったのですが、お互いに無実の死刑囚ということで励まし合ったものです。私が二審で無期懲役となるまで、6年間交流が続きました。当時、塀の外でこうしてイワちゃん(巖さん)と会えるとは思っていなかったので、感無量です」(石川さん)

11月15日には、東京で行われた日弁連主催のシンポジウム「死刑廃止を考える日」に参加した。渋谷のスクランブル交差点ではあまりの人の多さに目を丸くした袴田さんだが、壇上からこう強い口調で訴えた。

「国家が人を殺す死刑制度は、何があっても許されることではない。あってはならないことだ。私はこれからも正しい道を生き、闘っていきたい」
常に処刑の恐怖と隣り合わせだった怒りの言葉に、参加者は深く考えさせられたようだった。

これまで東京や名古屋などへ出かけることはあったが、11月29日には島根県松江市で開かれたシンポジウム「死刑を考える日――袴田再審事件を通して――」(島根県弁護士会主催)に招かれた。約50年ぶりとなる飛行機に羽田空港から搭乗した袴田さんは、黒のスーツに蝶ネクタイ姿。

「島根県まで行くんだから蝶ネクタイくらい締めなければと思い、前日にデパートで買ったけど、黒ずくめになってしまった。飛行機に乗れるということは、自由な体で生きられるということなんだな。健康そのもので元気いっぱいで頑張っております」(袴田さん)

まだ拘禁症の影響が残り意思の疎通が図れない部分もあるが、150人の聴衆を前にした袴田さんは「私が袴田巖でございます」と、しっかりとあいさつをした。松江城の天守閣から街並みを見下ろすと、「これから街がどう発展していくのか。幸せな人間社会が保障されなければいけない。人間がまじめにやれば、文明が開けていく。今後どうなっていくのかが問題だ」と持論を展開した袴田さん。翌日は出雲大社を訪れ、大きな注連縄の下で拍手を打ち、頭を垂れていた。

再審開始決定は出たが、静岡地検が決定を不服として即時抗告をしているため再審開始のめどは立っていない。
「まだ厳しい道のりですが、私たちは全身全霊で闘い抜いていきます」
1日も早い無罪判決を待ち望む姉・秀子さんは、こう決意を語った。


◎産経新聞
2015.1.7 17:20
口を動かし「ありがとう」 名張毒ぶどう酒事件で再審請求中の奥西死刑囚が面会で
 名張毒ぶどう酒事件で第8次再審請求中の奥西勝死刑囚(88)の特別面会人稲生昌三さん(75)が7日、八王子医療刑務所(東京都)で奥西死刑囚と面会した。稲生さんは面会後、奥西死刑囚の様子を「『ありがとう』と言うように口が動いていた」と語った。

 稲生さんによると、面会時間は5分ほど。ベッドに横たわった奥西死刑囚は以前より顔色がよく、右手を動かし、稲生さんと握手しようとした。
 気管を切開したため声を出せない状態だが、稲生さんが「9日に(再審是非の)決定が出ます」と語り掛けると、何度もうなずき、口を動かしたという。
 稲生さんは「年が明けたことも分かっていたようだ。体調が安定していて安心した」と話した。


◎日本経済新聞
名張毒ぶどう酒事件、再審開始認めず 名古屋高裁
第8次再審請求
2015/1/9 10:10
 三重県名張市で1961年、女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」で、名古屋高裁(木口信之裁判長)は9日、奥西勝死刑囚(88)の8度目の再審請求を棄却、裁判のやり直しを認めない決定をした。弁護側は決定を不服として、最高裁に特別抗告するとみられる。審理は最高裁で続く見通しだ。

 7度目の再審請求の2005年、奥西死刑囚は再審開始が認められた。その後、取り消されており、最高裁で退けられていた。
 奥西死刑囚側は13年11月、第8次再審請求した。毒物とされた農薬をめぐる専門家の意見書を証拠として提出。弁護側は「自白で供述した農薬と混入していた毒物は別物の可能性がある」と主張した。

 これに対し、昨年5月の名古屋高裁の別の裁判部は、弁護側の証拠について「第7次請求と同じ証拠に基づく同じ主張」として、新証拠にあたらないと判断。再審請求を退けていた。弁護団は決定を不服として、異議を申し立てていた。
 一審・津地裁は奥西死刑囚を無罪、二審・名古屋高裁は逆転死刑判決を言い渡し、72年に最高裁で死刑が確定した。


◎毎日新聞
名張毒ぶどう酒:再審開始認めず 名古屋高裁が異議棄却
毎日新聞 2015年01月09日 10時13分(最終更新 01月09日 13時18分)
 三重県名張市で1961年3月、女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」の第8次再審請求で、名古屋高裁刑事2部(木口信之裁判長)は9日、再審開始を認めなかった同高裁刑事1部の決定(2014年5月)を不服として奥西勝死刑囚(88)が申し立てた異議を棄却した。弁護団は最高裁に特別抗告する方針。
 木口裁判長は「(再審を認めなかった)決定に誤りはない」とした。

 弁護団は13年11月に申し立てた第8次再審請求で新証拠として、事件の毒物が奥西死刑囚の自白した「ニッカリンT」ではなかったことを示唆する専門家の意見書などを提出した。しかし同高裁刑事1部は14年5月、「第7次請求と同一証拠に基づいている」などとして請求を棄却。弁護団は翌6月に同2部に異議を申し立てた。異議審で弁護側は「新たな証拠を追加しており、同一とは言えない」と主張したが、木口裁判長は「無罪を言い渡すべき明白性や新規性はない」と判断した。
 鈴木泉弁護団長は支援者らに対し「奥西さんの切なる願いを一顧だにしない決定で許し難い。ただちに特別抗告する」と述べた。

 02年に始まった第7次請求では、同高裁刑事1部が05年に再審開始を決定したが、検察側が異議を申し立て、同2部が決定を取り消した。奥西死刑囚側の特別抗告に対し最高裁は10年、審理を差し戻したが、高裁は12年5月に再び決定を取り消した。
 名古屋高検の米村俊郎次席検事は「法と証拠に基づいた妥当な決定」とコメントした。【金寿英、駒木智一】

 ◇名張毒ぶどう酒事件
 1961年3月28日夜、三重県名張市葛尾(くずお)の公民館で開かれた懇親会でぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が中毒症状になった。奥西勝死刑囚が農薬「ニッカリンT」を混ぜたと自白し、逮捕・起訴された。妻と愛人との三角関係の清算が動機とされたが、起訴直前から否認に転じ、1審・津地裁は「自白は信用できない」と無罪を言い渡した。2審・名古屋高裁が死刑とし、最高裁で72年に確定。73年から再審請求が繰り返されている。


◎日本経済新聞
弁護側は特別抗告へ 名張事件、名古屋高裁が再審認めず
2015/1/9 13:44
 三重県名張市で1961年、女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」で、名古屋高裁は9日、8度目の再審請求をしていた奥西勝死刑囚(88)の異議申し立てを棄却、裁判のやり直しを認めない決定をした。木口信之裁判長は、請求を棄却した昨年5月の高裁決定について「判断に誤りはない」などと決定理由を述べた。

 弁護団長の鈴木泉弁護士は「大変、残念な結果だ」と述べ、この日の決定を不服として、最高裁に特別抗告する方針を表明した。審理は最高裁に移される見通しだ。2005年に名古屋高裁がいったん再審開始を決定。その後、取り消されており、再審開始のハードルの高さが改めて示されたといえそうだ。

 8次再審請求審では7次に続き、事件に使われた毒物が奥西死刑囚が自白した「ニッカリンT」か否かが争点となった。
 決定理由で、木口裁判長は、弁護側が提出した農薬をめぐる専門家の意見書について「第7次請求での証拠と実質的に同じ。独自の証拠価値を持つものではない」などと指摘。刑事訴訟法上では認められない「同一の理由で、再審請求をする場合にあたる」として、弁護団の請求を認めなかった。
 その上で、弁護団が提出した証拠の中身についても検討。決定は「証拠価値は認められない」などと退けた。

 奥西死刑囚は12年6月、体調を崩し、名古屋拘置所(名古屋市)から八王子医療刑務所(東京都八王子市)に移送。一時、危篤状態となったことから、人工呼吸器を装着。寝たきりの状態が続いているという。


◎東京新聞
奥西死刑囚 小康状態保つ 特別抗告にうなずく
2015年1月9日 夕刊
 奥西勝死刑囚は八王子医療刑務所(東京都八王子市)に収容されており、弁護団が九日午前、面会して棄却決定を伝えた。気管を切開しているため会話ができない状態だが、冷静に受け止めていたという。
 刑務所前で報道陣の取材に応じた伊藤和子弁護士らによると、面会は十~十五分間。伊藤弁護士が右手を握りながら決定内容を伝えると、淡々と聞いていたが、「すぐに最高裁に特別抗告して、私たちは頑張ります」と話すと手に力が入り、大きくうなずいたという。
 伊藤弁護士が「何度も負けているが、七転び八起きという言葉もある。頑張りましょう」と呼び掛けると、奥西死刑囚は「うーうー」と応じ、伊藤弁護士が「『支援者の皆さんによろしくお願いします。自分も頑張ります』ということですか」と聞くと、うなずいたという。昨秋に面会した古橋将弁護士は「(奥西さんの)体調に変化はなく、小康状態を保っている」と話した。


◎毎日新聞
名張毒ぶどう酒事件:弁護団「不当性を最高裁でも訴える」
毎日新聞 2015年01月09日 21時40分(最終更新 01月10日 02時40分)
 三重県名張市で1961年3月、女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」で、第8次再審請求の異議申し立てが名古屋高裁で9日に棄却された奥西勝死刑囚(88)の弁護団は、記者会見で「異議審で訴えた不当性を、最高裁でも継続して訴える」と、特別抗告を申し立てる理由を説明した。「検察側は未提出の膨大な証拠を隠し持っている」とも主張し、異議審に引き続き最高裁でも証拠の全面開示を求める方針。特別抗告は奥西死刑囚の誕生日の14日に行うという。

 記者会見は午前と午後の2回行われ、鈴木泉弁護団長は「裁判所は無辜(むこ)の救済として設けられた再審制度の本質を全く理解せず、それに反した審理、姿勢だった」と高裁を厳しく批判した。

 8次請求では、事件に使われたとされる毒物が農薬「ニッカリンT」ではないことを示す「重大な新証拠」を提出する予定だったが、その前に棄却決定が出され、異議も退けられた。鈴木弁護団長は「証拠を調べ尽くすことなく、命を奪うというのは正義に反する」と強い口調で非難し、「特別抗告せずに第9次再審請求を始める選択肢もあるが、問題のある8次請求の決定を容認するわけにはいかない」と説明した。

 奥西死刑囚の妹、岡美代子さん(85)は特別面会人を通じ「兄は命を削り、再審・無罪を訴え続けた。兄は絶対にやっていません」とコメントした。
 決定を伝えるため9日、八王子医療刑務所(東京都八王子市)で奥西死刑囚に面会した伊藤和子弁護士によると、奥西死刑囚は人工呼吸器を装着して声が出せないが、特別抗告すると伝えると、右手で伊藤弁護士の手を力強く握り、大きくうなずいたという。

 第8次再審請求では、名高裁刑事1部が14年5月、「第7次請求と同一証拠に基づいており、請求権は消滅している」などとして棄却した。弁護団は翌6月、同2部に異議を申し立てたが、この日の決定で木口信之裁判長は「無罪を言い渡すべき明白性や新規性はない」と判断した。【金寿英、駒木智一】


◎南日本新聞社
社説 [名張再審認めず] 全証拠の開示が必要だ
( 1/10 付 )
 1961年に三重県で起きた「名張毒ぶどう酒事件」の第8次再審請求異議審で、名古屋高裁は奥西勝死刑囚の申し立てを退け、再審開始を認めなかった。
 「弁護団が提出した証拠に、無罪を言い渡すべき明白性や新規性はない」という判断だ。弁護団が重視した混入された農薬の種類についても「判断は既に示されている」と切り捨てた。
 昨年5月に同高裁が出した決定に続く、事実上の門前払いである。今月14日で89歳になる奥西死刑囚の年齢や体調を考えれば、再審の道は極めて厳しくなったと言わざるを得ない。
 事件は名張市の公民館で開かれた懇親会で起きた。ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が入院した。飲み残しから農薬が検出され、関与を認めた奥西死刑囚が逮捕された。
 50年前の一審判決は無罪だった。二審で死刑判決が出て、72年に最高裁で確定した。2005年に第7次再審請求を名古屋高裁がいったん認めたが、1年8カ月後に取り消した。
 司法判断が二転三転する中、初動捜査の問題点や自白の信頼性などさまざまな疑問が指摘された。こうした経過を見ても、確実に奥西死刑囚の犯行と断定するのが難しい事件だったのは間違いない。

 「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則は再審にも適用されるとした最高裁の「白鳥決定」に照らせば、第7次請求で一度は開いた「再審の扉」が再び閉ざされたことは疑問が残る。
 事件から半世紀が経過し新たな証拠の発見が絶望的な中、第8次請求で弁護団は第7次請求の特別抗告審で出したものと同じ農薬の専門家の意見書などを「新証拠」として提出した。奥西死刑囚の体調を考慮した苦肉の策だった。
 しかし、高裁は証拠の新規性を求める刑事訴訟法の規定を厳密に適用した。弁護側にとっては再審のハードルの高さを突きつけられた格好だ。
 弁護側は、関係者や自白直前の奥西死刑囚の供述調書、ぶどう酒の瓶に付いた指紋の鑑定書など、検察側が保管する証拠を全て開示させるよう裁判所に求めたが、許可しないまま決定が出された。
 弁護団は特別抗告して再び最高裁の判断を仰ぐ。最高裁では全ての証拠を開示して、事件の疑問を明らかにすべきだ。
 人工呼吸器を装着し寝たきり状態の奥西死刑囚は、弁護団が「特別抗告して頑張ります」と伝えると何度もうなずき、手を強く握り返したという。半世紀にわたる訴えに応える手続きが急がれる。


◎信濃毎日新聞
社説 名張再審棄却 疑問拭えない門前払い
01月10日(土)
 裁判のやり直しを求める主張は今回も退けられた。名張毒ぶどう酒事件をめぐる名古屋高裁の判断だ。
 「弁護団が提出した証拠に、無罪を言い渡すべき明白性や新規性はない」として再審を認めなかった。門前払いには疑問が拭えない。

 1961年3月に三重県名張市で、毒物が混入したぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が中毒症状になった事件だ。奥西勝死刑囚が逮捕され、72年に死刑が確定した。いったんは関与を認めたものの、起訴直前から一貫して無罪を主張している。

 再審請求は第8次になる。弁護団は証拠として第7次での専門家の意見書などをあらためて提出した。昨年5月に棄却され、弁護団の異議申し立てにより、高裁の別の部が審理してきた。
 曲折をたどった事件だ。一審は無罪判決、高裁で逆転死刑判決が下されている。第7次で2005年に高裁が再審開始を決めたものの、検察側の異議申し立てで翌年に取り消された。

 この間、物証や自白、供述への疑いが生じている。05年に高裁は動機をはじめ不自然な点が多いなどとして自白の信用性に「重大な疑問」を呈した。一審判決は自白や居合わせた住民の証言に不自然な変遷があるとしていた。

 第7次からの争点は、毒物が自白通りの農薬だったか―という点だ。「検出されるはずの不純物が出ないのはおかしい」と弁護団は主張する。第7次で最高裁は別の鑑定結果を基に「矛盾はない」として退けたものの、真相が明らかになったとは言い難い。

 弁護団は、検察側に保管する証拠を全て開示させるよう高裁に申し立てていた。関係者や自白直前の奥西死刑囚の供述調書、事件現場にあったぶどう酒の瓶に付いた指紋の鑑定書などだ。しかし、開示されないまま、棄却の決定が下されている。

 昨年3月の袴田巌さんへの再審決定は、積極的な証拠開示が後押しになった。長い歳月を経て新証拠を見つけるのは難しい。高裁は証拠を開示させるべきだった。第8次請求が異例の早さで棄却されたことも含め、あまりに素っ気ない対応だ。

 弁護団は来週、最高裁に特別抗告する。間もなく89歳になる奥西死刑囚は、東京の医療刑務所で寝たきりの状態が続いている。再審請求は時間との闘いだ。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則に立った判断を最高裁に求めたい。


◎西日本新聞
奥西死刑囚側が特別抗告 名張事件の第8次再審請求
2015年01月14日(最終更新 2015年01月14日 14時25分)
 1961年に三重県名張市で女性5人が農薬の入ったぶどう酒を飲んで死亡した事件で死刑判決が確定している奥西勝死刑囚の弁護団は14日、名古屋高裁が第8次再審請求での異議申し立てを棄却したのは不服として、最高裁に特別抗告した。
 14日は奥西死刑囚の89歳の誕生日。弁護団は特別抗告審で「提出証拠を既に審理したという高裁決定には根拠がない」「証拠開示にも応じず、審理を尽くしていない」と主張するとみられる。


◎毎日新聞
名張毒ぶどう酒:弁護団が特別抗告 「科学的検討を放棄」
毎日新聞 2015年01月14日 22時54分(最終更新 01月15日 00時32分)
 三重県名張市で1961年、女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」の奥西勝死刑囚(89)の弁護団は14日、第8次再審請求の異議申し立てを棄却した9日の名古屋高裁刑事2部の決定を不服として、最高裁に特別抗告した。

 特別抗告申立書によると、弁護団は8次請求で新証拠として「事件で使用されたのは『ニッカリンT』とは別の農薬」などとする農薬の専門家らの意見書を提出したにもかかわらず、同高裁が「既に7次請求で判断済み」として退けたことを批判。また「無罪を言い渡すべき明らかな証拠に当たらない」との判断も「科学的な論点について検討を放棄したもので、重大な誤り」などと反論した。
 さらに、奥西死刑囚の供述調書や現場写真のネガなど、検察側が保管する証拠を全面的に開示するよう命じなかったことも刑事事件の適正手続きを保障した憲法に違反すると主張した。

 14日は奥西死刑囚の誕生日。申し立て手続き後、名古屋市で記者会見した鈴木泉弁護団長は「『疑わしきは被告人の利益に』の原則が、再審請求にも適用されるとした白鳥決定に最高裁が再び立ち戻り、審理してほしい」と話した。
 また、名古屋市中区の金山総合駅前では支援者ら約150人が「力を貸してください」などと記した89枚のパネルを掲げ、「裁判をやり直せ」などとシュプレヒコールを上げた。【金寿英、大野友嘉子】
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